為す偽善より頼城紫暮
頼城紫暮さんお誕生日おめでとうございます!!!!!!!!!!
頼城さんのスマートなトンチキ感と、あふれる人間味が好きです。
私、宝塚劇団が好きなのですが、頼城さんにはどうもヅカっぽいケレン味が感じられてとても良いな…と思っています。
ラ・クロワの大黒柱であり、ご家業の副社長であり、いつなんどきも理想へ向かって邁進している頼城の姿はとても魅力的です。「夜明けの境界線」のガチャ*1めちゃ良かったよね。
さて今回は、そんな頼城さんが背負っているモチーフと、「人間らしさ」についてのお話です。
●"理想"は"理性"によってのみ実現する
頼城 紫暮
大企業の社長令息として副社長を務めるビジネスマン。
明るく前向きな性格で、周囲を従わせるカリスマ性を持つ。
無茶な理想を語っているように見えて、実はかなりの現実主義者。
紳士的な振る舞いが板についており、老若問わず女性からモテる。
黄金色の右目は、ミュータント化手術の副作用によるもの。
(公式サイトキャラクター紹介より引用)
頼城紫暮に与えられているモチーフは、"理想"だと思います。
しかも、人物紹介で語られている通りの、「無茶な理想」なのです。これはどういうことかというと、おおざっぱに言うと「万人が目指す"より良さ"」とでも言ったらいいでしょうか。「みんな」にとってのより良い世界、誰もが幸せな世界、そういうものを指して"理想"と言っているのだと思います。
前回佐海くんのお話をした記事で、みんなにとっての正義はこれから考えていくものだ、ということにちらっと触れたんですが、頼城さんが目指している理想はまさに「"みんなにとっての正義"がある世界」と言えそうです。そしてそれを目指すことで、世界はより良くなっていくのだ、と信じているのです。
こう考えると、佐海くんが頼城さんに対して憧れ・崇敬に近い感情を持つのは彼自身のキャラクターとしてのモチーフに由来しており、とても自然に思えます。
一方で、人物紹介でも「無茶な」とついている通り、この理想は一見「実現不可能」なもの、荒唐無稽な絵物語のように思えます。この"より良い世界"というのは、人々や社会の善性を強く信頼することにより成り立っている概念のように見えるからです。こう言うと乱暴ですが、わかりやすく言えばとても性善説っぽいのです。最終的には人類はより良きものを目指すはずだ、という、純粋な信頼がある"ように見える"わけですね。
しかし現実はそうではない。すべての人間が善性を持ち合わせているわけではないことを、我々は体験として知っています。「良き理想」が「きれいごと」として唾棄されてしまうのは、その実現可能性が限りなく低いことを知っているからです。
メインストーリー内で、頼城さんは彼の父親の言葉を借りて世の中を語ります。曰く、
「世界が変わるのは、時間がかかる。だが、必ず変わる。」
このフレーズは、わかりやすく頼城さん本人のスタンスを表しています。
この台詞が意味するところは、「頼城さんは現在の世の中を、良き世界へ変わりつつある途中である」と認識しているということです。これはすごく、言い方が悪いですが、都合の良い考え方だと思います。「現在の理想にとっての不都合は、変容の過程にあるからであり、やがては"より良い"にたどり着く」というふうに、現実を妥協して綺麗事に沿わせてしまうことができるからです。
だから表面的に、あくまでも表面だけをみると、頼城紫暮という人物像は、ともすれば偽善的に見えます。実際、ワヒロを読み始めた初期の段階では、私自身も頼城さんに多少の鼻持ちならなさを感じていました*2。
頼城さんのボイス自分についてのやつで、「富や名声より大事なものがある」って言ってるやつ、私最初はっきり言って鼻持ちならないやつだなと思ったんですけど(ごめんね)、頼城さん本人がそのことを自覚している節があるなあと感じる それはなぜかというと積極的に北村倫理と接触しないからですね…
— Kiki (@kiki8138game) 2019年11月5日
上は2年前当時の私のツイートなんですが、これはアプリに収録されているボイスのうち「自分の話題3」に言及したものです。
「富や名声より、人とのつながりを大切にしている。人の気持ちを買うことはできないからな。」
この台詞、発言する人の地位によって印象が大きく変わると思いませんか?
私はかなりひねくれているので、最初に聞いたときは「そりゃあ富と名声を持っている人はそう言うでしょうね」と思いました。これは「買うことのできるものは手に入る人間」の価値観じゃないか、って。
実際、頼城紫暮という人間は、ハイソサイエティの家庭で何不自由なく育ち、才能も有り、生育環境に欠落のなさそうな人物です。「恵まれた人」だといっていいでしょう。ワヒロにおいては、世界の「底」を自称する北村倫理というキャラクターがいますので、余計に頼城さんの「申し分ない不自由の無さ」が恵まれて見えます。
才色兼備な社長令息が性善説めいた"より良き世界"を目指し、美辞を宣うことに感じる"鼻持ちならなさ"。それはおそらく、「世界はそうならないことを"知らない"のだろう」という憤りです。
恵まれたあなたは、恵まれない人のどうしようもなさを知らないのではありませんか?あるいは、知ってはいても、体感していないからわからないのではないですか?だから、どうしようもないことなんてない、より良くできる、と言ってしまえるのでしょう?という感情。それが、相手が"傲慢"だという印象を持たせているのだと思います。
けれど、物語をよく読んでいくと、頼城紫暮は決して世の理不尽さを「わからない」わけではない、ということがわかります。日本語不自由すぎんか?つまり、頼城紫暮は世の理不尽や悪徳に無理解ではないのです。
キャラクター紹介に書いてある通り、彼は現実主義者なのです。
それはストーリーで解説されるような明解な描写ではありませんが、頼城さんの出番の端々で感じることができます。特に、矢後さんが関わるシーンでは顕著に見られます。私が最初にハッとしたのは、これまたボイスの「他校の話題3」、風雲児高校についての所感を述べているボイスです。
「風雲児か……風雲児とは、いずれ全面戦争をせねばならんな……!ラ・クロワの校舎の壁面に、究極にダサい四字熟語を書き逃げることは、尊重すべき価値観という美辞の域を超えた、侵害行為なのでな……!」
すっごい苛烈やん。なに?
ご覧の通り、頼城紫暮という人物は実際のところ、全然ラブ&ピースの人ではありません。私個人の印象では、相当に排他的な人なのではないかと思っています。そもそも頼城さんのような恵まれた生まれ育ちの人は、環境に恵まれている分、環境への期待値が高いので、排他的になりやすいと思うんですよね。周囲の優秀さを無意識に期待する分、そうでなかった時の落胆が大きいというか……だからこういう、頼城紫暮の予想外の苛烈さって、意外と説得力のある人物造詣だなあと思ったりします。
で、このボイスで問題なのは、文字を大きくした部分。
"尊重すべき価値観という美辞"という認識を、頼城紫暮は自覚しているというところです。
これはつまり、頼城紫暮は、「綺麗事が綺麗事にすぎない」と自覚しているという事実を示しています。多様な価値観が尊重されなければならない、という理念は、頼城紫暮にとって美辞に過ぎないわけです。
そのうえで、その「美辞」を、現実に実行しようとしている。
価値観はすべて平等に尊重されるべきだが、それはときにぶつかり、争いを生む、という理不尽を知らないわけでも、わかっていないわけでもない。わかっていて、その綺麗事は彼の本心ではなくて、その上でなお彼は「美辞」を現実にしようとしているのです。
「為さぬ善より為す偽善」なんてネットミームがありますが、頼城さんのこれは為す偽善なんてものではない、それよりももっと複雑で、はるかに強固な意志を含有する"理想"です。
これに気づいたときに、私の頼城さんへの印象は180度変わりました。彼は純粋な慈愛の人だとか、生まれ育ちに胡坐をかいたご令息などでは全くない。というよりは、どちらかというと"とても困難な人"寄りの印象になってしまいました。
人間らしい美醜入り混じった心根を抑えて、なおより良き世界を標榜するために、理性をもって慈愛を演じている。ものすごく人間くさい、愛すべき困難な人だと思うのです。
●人間らしさとは何か
頼城さんの困難さを「人間らしい」「人間くさい」と感じるのはなんなのか。それはどうしようもない自己矛盾とか、好き嫌いのわかりやすさとかもあるのですが、個人的に一番思うのは、"頼城紫暮は未必の悪意を持っている"というところなのです。
最初のブログ記事書いた時からずっと、「ワヒロは『人間には醜いところがあるのだ』てことを信念をもって描こうとしてるのでは」って言ってるんだけど、人の醜さ(それは必ずしも本人の明確な決断を伴う悪意ではない)が、主要キャラのヒーロー達にもあるのが凄いところで、
— Kiki (@kiki8138game) 2020年6月28日
ワールドエンドヒーローズの物語は、人間の醜さを臆することなく描きます。名前の見えない悪意、意志を伴わない悪意、強固な意志を伴う悪意、憎悪、嫉妬、愛執、エトセトラ。
そして、これらの悪意と戦うだけでなく、メインキャラクターたちもまた、そうした悪意の芽を持ち合わせています。ワヒロにおいて、登場人物は「いつも正しい*3わけではない」。敵も、味方も、そうなのです。
頼城さんの困難さというのは、そうした「誰しもが持ち得る悪意」に直結しかねない苛烈さと、その苛烈さが「目指す綺麗事の実現には合わない」と判断できる理性を、同時に持ち合わせていることに由来すると思うんです。
頼城紫暮のサイドストーリーでは、こうした彼の人間性、「神でも悪魔でもなく人間である頼城紫暮」のエピソードが描かれます。
人間だから、理性だけでいることはできない。
わたしたちは、神様にはなれない。
人間だから、感情だけでいることもできない。
わたしたちは、悪魔にはならない。
頼城紫暮の人間くささは、こういうからくりになっているんだと思うんですね。
そう思うと、誰よりも人間らしい頼城さんが、ラ・クロワ学苑の大黒柱であることも、非常に意義深く感じられます。ラ・クロワのミュータント技術は、特別な星の力でもなく、技術のロマンでもなく、ただ人が人として掴んだ力であるわけです。
巡くんのモチーフが医療であることも、「医療」が人を人のあるがままに導く術であるからだとも言えそうです。それに対立するのが、人を機械化する技術を持った浅桐さんですね。
そして、頼城紫暮が何よりも"人間らしく"描かれている、その証左になると思うのが、メインストーリーでの彼の戦いです。
頼城紫暮の最後の戦いの相手は、未知の災厄であるイーターでも、人造人間のアンノウンズでも、運命であるワールド・コードでもありません。
人間なのです。
最終決戦での頼城VS室媛の戦いは、「普段彼が社会の中で理想のために勝ち得ていること」と変わりない戦いです。
やはりワヒロの物語は、どう戦うかということが即ち、どう生きるかに結びつく物語なのだと思わされます。
人の悪意と人の愛に立ち向かい、ときに本性を見せつつも、強固な意志の、理性と感情の力を持って打ち倒す。
どこまでも人間である頼城紫暮は、どこまでも人間と対峙しなければならないのです。
●終わり
頼城紫暮の人間らしさ、その困難さがすごく好きで、記事にしたいなとずっと思ってたので書けてうれしいです…ヤッター!
こういう人間くささというか、人の醜さを描くことから逃げない、そしてそれでも希望を描き切るというワヒロの物語としてのスタンスにいつも感動しているのですが、頼城紫暮というキャラクターはその物語の味を濃縮したようなキャラクターだよなあと思っております。
人間らしさ、人間くささ、と言えども、その強烈な希望と理想への拘りと実行力は頼城さん個人の、頼城さんならではの資質であり、神でも悪魔でもなく「頼城紫暮」である所以なのでしょう。めちゃくちゃ良い…好きだ……(急に失う語彙)
頼城さんハッピーバースデー!!!!!気持ちだけじゃなく満たされた誕生日をどうぞお過ごしください!!!!