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ワーーーーイ!!

浅桐真大は天才だ

 浅桐真大さんお誕生日おめでとうございます!!!!!!!!!

 

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 浅桐さんはワヒロのメインテーマみたいな存在だよなあと思っている次第です。
 オンライン版のアプリスタート画面は、何人かの中で浅桐さんが大きくピックアップされている構図だったのですが、まさにひときわ存在感を放つメインキャラクター。

 個人的には共感値のとても高い、仲良くなりたい願望の強いキャラです(笑)
 厳しいことも言うけど、エンタメを大事にしていてユーモアあふれる人。いつも合宿施設にとんでもねえ事件を引き起こしてくれています。ミニイベなどでのまたお前か率よ。いつも楽しませてもらっています。

 

 さて、そんな浅桐さんなのですが、彼のキャラクター的な性質というのは非常に難解なのです。
 ……というかそもそも、浅桐さんにまつわる描写自体が、他と比べても圧倒的に難解です。

 ですがその難解な中でも比較的わかりやすい特異な点に、「天才技術者」というのがあります。突出した才能は、それだけでヒーローの素質だと思うのです。

 というわけで今回は、浅桐真大は天才である、というお話の記事です。

 


●"魂"の在処

浅桐 真大
崖縁生徒のの人体強化を手がける、神経質な天才技術者。
666回の交通事故を経て、世の真理に目覚めた。
フィクションをこよなく愛し、中でも特撮においては、
制服に変身ベルトを装着するほどの情熱を注いでいる。
留年をしたのは、自身が起こした暴発事故が原因。
公式サイトキャラクター紹介より引用)

 

youtu.be


 ワヒロのキャラクターにはキャッチコピーがつけられていて、それは公式サイトなどで見ることができるのですが、浅桐さんのキャッチコピーは「ハッピーエンドを愛する崖縁の悪魔」となっています。

 それ以外にも劇中で悪魔だのナイトメアだのと呼ばれているのですが、これって悪魔的な性質、悪魔的な性格という以上に、"「悪魔の証明」をする者"という意味が込められていると思うのですよね。

 

ja.wikipedia.org

 

 悪魔の証明って、「『無い』ということを証明する」という、ざっくり言うとそういうことだと思うのですが、作中では誤用の意味合い(存在する証明の不可能性という意味)を用いられています。

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サイドストーリー4話「悪魔の証明」より

 

 ただ本質的な意味はやっぱり、浅桐真大が「人間の限界は『無い』」ことを証明する、っていう意味だと思うのですよね。

 この証明の発点となっているのが、「人間の肉体と魂は別のものである」という考え方です。肉体と魂は別のものであるから、肉体の限界に縛られることはない。よって限界が存在しない、というふうに考えているわけですね。

 そしてこの考え方、心身別なりという考え方は、実はワヒロ世界において"真理"なのです。ワヒロの世界は、ワールド・コードが運命を定めている世界であり、魂によってその深淵に触れることができる世界であるからです。

 

 これは「魂」という概念に翻弄されている私のツイート。

 私、ワヒロをはじめてからずっとこの「魂」という概念にこだわって振り回され続けているのですが、なぜかというとこれは作品が"人間の本質"というものに触れ、描き、評価しているかどうかにかかわるのです。

 

 たとえば、病気や事故などで自分の肉体の一部を失ってしまったとします。そこにドナー提供の臓器であるとか、義体などを用いて代替した場合、はじめにあった「私」から一部が「私でないもの」に変わったことになります。その「私でないもの」を含む「私」は、本当に完全にもとの「私」と同一でしょうか?

 

 これは20世紀哲学、特に日常言語学派でおおいに取沙汰された命題です。有名なところだとウィトゲンシュタイン*1などでしょうか。この哲学の命題はちゃんと解決をされており、「私の一部」で「私」を代替することはできない、と証明されています。わかりやすく言うとドナーも義体も大丈夫、私の一部だよということです。この命題の解決は、医療や科学技術に自信と発展を与えました。こうした哲学的命題の解決が、こんにちの技術発展を支えているんですね。

 そして、ワヒロの世界ではこうした「私」という概念、人間の本質という概念が"魂"という言葉で表現されています。ここが重要なのですが、ワールド・コードという存在によって、その"魂"が物理的に実存できるという世界です。そういう仕組みの世界なのです。

 浅桐さんはこうした「世界の仕組み」と言えるものの根底に、自力で気づいた人間、ということになります。これはたとえて言うならば、ニュートンが重力を発見し、ガリレオが地球が動いていることを発見したのと同じです。しかも浅桐さんはこの発見を人為的に行っています。666回もの事故という、己の人体を使用した検証実験によって。これはかなり尋常じゃない執着ですが、

 

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サイドストーリー4話「悪魔の証明」より

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サイドストーリー2話「キッズ・オレ」より

 

 どうもそのはじまりが、本来の意味の「事故」、あるいは諦観による希死念慮であったかのような、そういう解釈を可能にする*2描写がなされています。

 この最初の事故のとき、浅桐さんは7歳です。事故の真意がどちらにせよ、あまりにも早熟すぎると言わざるを得ません。本当に、浅桐真大という人物は本来の意味での"天才"なのでしょう。

 


●天才の目線

 "天才"である浅桐さんの考えることは、常人とは一線を画しています。
 たとえば強くてかっこいいヒーローに憧れるとき、

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[高みにのぼる]カードストーリー「ヒーローの景色」より

 

 浅桐真大は「自分には見えない、ヒーローに見えているもの」のことを考えている。

 

 浅桐さんは探求心や知的好奇心が強く、新しいものに対して柔軟な態度をとる性質の人です。これは、浅桐さんが幼少のころから持っている彼の気質、ワヒロでいうところの"魂"であるように描写されています。

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サイドストーリー4話「悪魔の証明」より

 

 世界を上から見下ろす目線は、ヒーローの目線。"ヒーロー"が一段上に立ち、その下にある守るべきものを守る。浅桐さんはそういう解釈をしているようです。
 実際物語の構築を解釈するとき、どうしてもそのような解釈にならざるをえないところがあり、浅桐さんの「上から」思想はひとつの正しさでもあると思います。

 

 そしてこれ、つくづくワヒロだなあと思ったのですが、実際にヒーローになった浅桐さんが上から見てみたその景色は、

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[高みにのぼる]カードストーリー「ヒーローの景色」より

 

 これ。
 もうとにかく、この『ワールドエンドヒーローズ』という作品において、完全に一貫している思想なんですが、この世界というのはつまらない、地獄があふれた苦しい世界なのです。ヒーローに憧れた少年が守るべき世界を見下ろしたとき「美しい世界だ」とはならないのですね……。「"それでも"世界は美しい」にすらならない。凡俗・広大・退屈。救われない世界なのです。

 そしてこの救われない「ヒーローからの視点」を得た浅桐さんが下した世界への判断が、

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 ということなのですね……。

 

 こうした判断や普段の振る舞いなどを見ていると、浅桐真大という人物は非常にポジティブな人間に見えるのですが、それは浅桐さんがハッピーエンドを強く信奉しているというのが原因にありそうです。
 エンタメから多大な影響を受け、ハッピーエンドの物語を強く信奉するに至り、それが現在のヒーロー活動の根幹に大きくエフェクトしている。だからこそ浅桐さんはフィクションを大切にし、敬意を払います。

 

 また、今見てきた通り、こうした「ヒーローからの視点」と「ヒーローが守るべきものをどう評するか」において、浅桐さんはかなり自覚的と言えます。だからこそ北村倫理と共通項があるというふうに語られているのだと思います。

 そして救われない世界側からヒーローを見つけた、「底」からの視点を持つ倫理くんとは真逆で、浅桐さんはヒーローの視点を追い求め、その先で救われない世界を見つけた。だから二人は「同じだが、ベクトルは逆」なのでしょうね。

 

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サイドストーリー4話「悪魔の証明」より




●おわり

 ほかにも色々たくさんあるのですが、今回の記事はここまでとさせてください……

 浅桐さんはエンタメが好きでユーモアも情緒の高低も人一倍あるのですが、「起こってしまった感情」に対してはとても客観的なように見受けられるんですね。それはやはり、浅桐真大が"天才"であり、"魂"つまり本質について考え続けた人だからだと思うのです。ドライなわけではなく、研究心が先に働いているのだと思うのですよね。

 個人的に、"天才"を描くのって本当に難しいと思うんですね。浅桐真大が"天才"であることに、こんなに説得力があるのってものすごい描写力だと思うんですよ……

 そんなこんなで浅桐さんハッピーバースデー!!!!!!!!!楽しいことをたくさんして元気溌溂な一日をお過ごしください!!!!!!!!

*1:

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン - Wikipedia

*2:あくまで解釈可能というだけです。わざと印象がぶれるように描写しているのだと思う。