御鷹寿史の憧れ
御鷹寿史くんお誕生日おめでとう!!!!!!!!!
見目好く上品で物腰柔らかな寿史くん、その王子様然とした印象に反して、スーパービッグ感情をこじらせがちなところがとても好きです。人間を感じる……
華やかな相貌の裏で等身大に悩んで考えて、それでも大事なところは必ず決めてくれる仕事人でもありますね。個性バラバラ意思もバラバラ自由人なヒーローたちの中で寿史くんのような存在はほんとに貴重。いつもありがとう!
というわけで今回の記事は寿史くんのお話なのですが、例によって白星の解釈がフンワリしているのでまたこの記事もフンワリした感じになってしまいそうですみません……
さらーとお読みいただけたらと思います!よろしくお願いします!
●"ルール"に強い
御鷹 寿史
政治家家系で、親族から厳しい躾をうけて育った優等生。
心優しく、困っている人を放っておけない性格のため、
無意識のうちに自分を犠牲にしてしまうことも多い。
「自分の意思」をもって戦う白星の先輩を尊敬しており、
彼らのようになるべく、白星のヒーローとなった。
(公式サイトキャラクター紹介より引用)
寿史くんが持っているキャラクターのモチーフって、"逸脱"だと思うのですよね。
……いや突然何?って感じなんですが、まず、正義さんや武居くんの記事で書いてきたのですが(よろしければ併せてお読みください)白星は王道の古典的英雄譚をモチーフにしていると思うのですね。それで、古典文学というのは東西を問わず「型」というものがあって、決められた役割を持つキャラクターが、決められた進行を担うことで物語が進んでいくわけです。「歌舞伎で赤い隈取をしている役者は"ヒーロー"である」、というような、一目でわかる明確なルールが物語の中にも存在して、ルールを守って進行していくのが、古典文学の姿です。
そしてこの"ルール"というのは、寿史くんのキャラクターにおけるキーワードとなっている概念です。
この寿史くんの設定、ほんとによくできてて大好きなのですが、複雑でうまく説明できるかわからない……
「ルールの中で強い」という設定に、色々な意味が込められていると思うのですよね。
まず額面通り、「決められた内容を遂行するという行為に長けている」ということ。厳しいおうちで育てられた寿史くんのルーツが伺える設定ですね。
そして、「規則規範に縛られる生活に適応している」「命に応じることに長けている」ということ。これは御鷹寿史が"王と騎士"の概念の、"騎士"であることに由来します。もうこのブログずっと王と騎士の話しとるやん。サビなので許してください。
先日のバケツ通信*1で、星乃一族の指揮系統*2についても判明しましたが、星乃一族郎党ご親戚の皆様を騎士道物語の概念として捉えるならば、やはり御鷹家のご子息である寿史くんは圧倒的に"騎士"の概念なのです。王でもあり騎士でもある正義さん、王に成る過程の武居くん、王そのものである星乃慧吾くんと並べた時に、明確な物語上の役割の違いが見えます。主従の従、王を丞る近衛、そういう役割です。
あとこれ面白いなと思うんですけど、寿史くんに関しては、この"騎士"という概念に、現代的な少女向け物語の文脈が付随されていますよね?笑
つまり、90年代以前の少女漫画的な、男女恋愛における"私のナイト様"のような立ち位置の概念です。ストーリー上で一般人に人気があり、熱狂的なファンが多いという描写であったり、見目麗しいことがことあるごとに強調される演出は、この辺が影響してるんだろうなと思って面白いです。
そして、「ルールの中で強い」という寿史くんの設定、このダブルミーニング以外に、古典的英雄譚をモチーフに背負っているキャラクターという意味が重なっているのかなと思うわけです。先に書いた通り、古典文学というのは「ルールを遵守して進行する物語」ですから、それを背負って、あるいはその物語の中に生きる寿史くんにとって、"ルール"というのは必要不可欠な概念であると言えます。
こうした、寿史くんと"ルール"についてを踏まえたうえで、「その"ルール"を"逸脱"すること」これが寿史くんのキャラクターのテーマになっているのではないか?と思うのです。
●騎士は王子の夢を見るか
例によって寿史くんのストーリーの重要な部分が語られるのはサイドストーリーになるのですが、そこでは寿史くんのおうちの厳しさや、ヒーロー活動を反対されていること、彼自身の気質や生育環境によって、おうちのルールに反することができないでいることなどが描かれます。
サイドストーリー内では、白星の皆をはじめとする周りのヒーローの助力によって、寿史くんは自らの意志を発信し、そしてこの問題は解決とはいかないまでも、一応の落としどころを見せるのですが。
"物語"という視点で考えると、「キャラクターの意志」という考え方って、"現代的"なのです。
なぜなら古典文学においてはキャラクターは明確な役割を持っており、その役割を進行する装置なので、キャラクターの意志とかは必要ないのです。三兄弟でヒーローになるのは必ず一番下の弟ですが、そのとき二番目の兄が何を考えているか、三番目よりも成功したいと本当に思っているのかとかは、物語にとってどうでもいい話なのです。これはサブキャラクターだけでなく、主役たちにも同じことが言えて、お姫様が主人公の物語では、お姫様が本当に王子様と結婚したいと思っているのかなんてことはどうでもよくて、ただただ「お姫様だから王子様と結婚する」という事実があるだけなのです。
現代になって思想が発展したことで、こうした「役割としての人物像」に疑問が呈され始め、"ロールに反するキャラクター"の作品が次々と現れました。フェミニズムの反論を受けたディズニー映画の試行錯誤の歴史とかは有名な話ではないでしょうか。日本のサブカルチャーにおいては、代表的な例が『セーラームーン』ですね。ロールが「お姫様」だけど、行動が「王子様に守られる」ではなく「みんなを守る」になり、与えられた"役割"から"逸脱"している設定というわけです。
特に90年代後半~00年代のサブカルチャーシーンは、この『セーラームーン』に影響されたのか定かではありませんが、ロールを破壊する物語というのが、もうめちゃくちゃたくさんあります。平成ライダーと呼ばれる仮面ライダー作品群もそうですし、戦隊ものも大きく変わった時期ですし。それらの中で「ロールの破壊を試みた作品」として特に名前を挙げられるのが、その『セーラームーン』にも携わっていた幾原邦彦監督によるアニメ作品『少女革命ウテナ』ではないでしょうか。この作品では明確に「役割」と"逸脱"を意識した発言をキャラクター自身にさせているので、ちょっと長いシリーズですが、見たことがない方はぜひ見てみてください。
長々と前提を話してしまったのですが、こうした"役割"という面での古典文学の文脈と、「その文脈に反抗する物語」の文脈があって、御鷹寿史というキャラクターは、後者の文脈のただなかにいる存在なのではないかと思うわけなんですね。
寿史くんは、「御鷹家の息子」という"役割"とその行動を求められていて、そこに寿史くん自身の意志は求められていない。けれども寿史くんは、自ら「ヒーローになりたい」という憧れを抱きます。
ここで白星が古典的英雄譚のモチーフを背負っていることが絶妙に活きてくるのですが、"御鷹寿史"が"ヒーロー"を志すということは、"騎士"が"王"になりたいと願う、っていうことと同義なのです。古典文学において、「英雄」はすなわち「王」だからですね。だから、寿史くんの憧れの先って、星乃慧吾・志藤正義という、"王"の要素を持っている人に向いている。
そして、じゃあどうやって、"役割"を"逸脱"していくのか?ということなんですが、これはストーリー上ではまだ解決していません。
御鷹寿史の物語はまだ途中で、続いていく、という風に読んでもいいなあと思うんですが。
この役割の逸脱、というテーマの解決法って、「そもそものルールを壊す」ということになりがちなんですね。寿史くんの話で言うと、「"王と騎士"の概念を壊す」という結論になりやすい。役割なんてそもそもいらないんだ、"個人"なんだ、という解決方法ですね。それを考慮すると、武居一孝が御鷹寿史と"友人"であろうとするその心が、突然大きな意味を帯びる……ような気がするんです。
二人が同学年になって、敬語を使わないで、友人として肩を並べていることに、すごく意味があるなあと思うのです。
●おわり
というわけで、なんだか話がごちゃごちゃしてしまいましたが、寿史くんと"ルール"、その逸脱についてのお話でした。
この役割と逸脱というテーマは形を変えて寿史くん以外のシーンにも出てきてるんじゃないかなあと思っていて、またそれは改めて考えたいなと思ってます。
本当は、寿史くんの憧れについてもうちょっと深掘りしたいのですができませんでした……
寿史くんが「どうして」「いつ」ヒーローを志したのか、っていうのをしっかり考えたいなあと思うのですが描写を思い出すことができなくて。もし寿史くんの憧れについて、ここに書いてあったよ!っていうのがあったら、お題箱とかコメントやツイッターで教えていただけると、とてもうれしいです!
では改めて寿史くんハッピーバースデー!!!!買い食いなり夜更かしなり好きにやってワクワク楽しい日にしてもらいたい!!!おめでとう!!!