ヤッターオタクたのしい!!

ワーーーーイ!!

武居一孝は王の道を往く

 武居一孝くんお誕生日おめでとう!!!!!!!!!

 

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 武居くんの良いところは武骨な芯が絶対にぶれずにあるところだなあと思うわけです。
 でもそれだけじゃなくて、そういうハードボイルドな人であるのにかなりユーモアもあるんですよね。
 「上階に石油が湧いてんじゃねーの」を筆頭とした、武居一孝独自の言語センスによる愉快なセリフの数々は、強烈なインパクトをもってワヒロユーザーに“武居語録”として(?)親しまれています。私はカニは関節技決めたら勝てるだろ」とかも好きです。
 慧眼で有能、努力家、オモロと三方敵無しの武居くんですが、今回の記事は「武居一孝は王である」というお話です。は???いや待って、順番に説明させて。

 

 

●"ヒーロー"の、"生きた化石"


武居 一孝
頑固でクール、おまけにプライドの高い参謀肌のエリート。
医師が強く真っ直ぐな性格の持ち主で、文武両道の実力者だが、
浅桐が起こした事故に巻き込まれたため、留年してしまった。
人の顔色を気にせず直球で発言するので、一見すると怖いが、
なんだかんだで世話焼きで、高校生らしい一面もある。
公式サイトキャラクター紹介より引用)

 

youtu.be


 この公式紹介見るたび思うんですけど、確かに情報は嘘じゃないけど、本当のこともあんまり書いてないよな。


 そのものずばりを言ってしまうのですが、武居くんは政界の最重鎮である星乃家の、その当代のご落胤です。
 星乃家という存在はかなり重要なキーワードで、本編中もイベントストーリーでも何度も出現しますし、武居くんだけではなく白星を中心に様々なキャラクターに関わってきます。ワヒロの世界における"ヒーロー"という存在の最初の一人を生み出した家系であり、そして政治の力でその"ヒーロー"の能力を国防に運用するため尽力した家系でもあります。つまり、政治的に重要≒社会的に強い力を持った一族であり、ヒーローのはじまりであり、かつヒーローが活躍するための中核を担ってきたお家柄というわけですね。

 

 ブログ上でたびたび言及してるのですが、私はワヒロのキャラクターが「それぞれ、ヒーローという概念の一要素をモチーフとして設定されている*1」のではないかな、と思っています。今まで記事を書いたキャラクターで言うと柊くんの《成長》、巡くんの《人命救助》、戸上さんの《戦い続ける境遇》なんかがそうです。そして、なんでそういうふうにヒーローの要素がキャラクターのモチーフになっているかというと、「『ワールドエンドヒーローズ』は、ヒーローを救うヒーローの物語である」から、と考えているのです。
 キャラクターのみんながそれぞれ、これぞヒーローという要素をモチーフに持っていて、各々の英雄譚を持っている。そんな多数のヒーローの物語が集結してワヒロという舞台で戦っていて、やがて危機に陥る。そのヒーローの危機を救うヒーロー、三津木慎が主人公の英雄譚、がワヒロのメインストーリー。そういう入れ子の構造になっているのかなと思っているのです。
 それで、そもそもなぜ「『ワヒロ』が入れ子の構造になっているのだ」と発想したのかというと、「武居一孝が古典的英雄譚の主人公そのものである。しかも、それを意図して描写していそう」と気づいたからなのですね。
 それに気づいたのは、本編第3章。80話「判断と選択」に出てくる、浅桐真大の一連のセリフです。

 

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 「仲間を守るために、引き返すか否か」の論争で、武居くんは即座に全員で引き返す方を選びます。それに反論して浅桐さんは戦力を2分し、作戦の続行を計画するのですが、この時武居くんを批判するために出てくるワードがこの"正義のヒーロー""星乃の直系"なのです。これはちょっと、罵倒としてはおかしいチョイスです。武居くんの、みんなを守るために引き返そうという選択を「それは正義のヒーローのやることだ」と言ってるわけですからね。
 なぜこのような言葉選びになるのか。それは、浅桐さんと武居くんのキャラクター造詣に理由があります。

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 「邪道の先にある最高」。要するに、"王道"武居一孝VS"邪道"浅桐真大の対立構造になっているわけです。
 そもそもの話ですが、こうして浅桐さんに批判されているところだけを見ると武居一孝がすごく直情的な男に見えるのですが、でも実際武居一孝というキャラクターは、基本的に合理性を尊ぶ人なのです*2。がむしゃらな面があり、自他に厳しいことを言う人だし、トンチキな面白発言をする人ですが、むちゃくちゃなことは言わない人なのです。だから80話のこのシーンは、「情に流される武居を理性で諫める浅桐」ではなく、「己の理をもって最善行動をしようとする武居と、その『理』に物申す浅桐」というシーンだと思うわけなんですね。
 じゃあその『理』って何かというと、"仲間の危機を救うべきという観念"です。まさに正義。ヒーローに必要不可欠な道徳心。しかし浅桐さんはそのヒーローならあって然るべき観念に異を唱えます。なぜか?なぜならば浅桐さんにとって一番大切なのはハッピーエンドだからです。ここに決定的な価値観の違いがあります。多少ヒーロー適正を曲げてでもハッピーエンドにたどり着くべき、と浅桐真大は考えている。それが武居くんへの批判となって現れているのですね。

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 浅桐さんにとって武居くんの考え方、「理をもってことに当たり最善を尽くす」という考え方は"ヒーローの化石"。前時代的なヒーロー像だという揶揄です。人一倍"ヒーロー"という概念に拘りのある浅桐さんは、自分の在り方こそが絶対的にヒーローである、という自負があります。そんな浅桐さんにとって、武居一孝のヒーローとしての在り方は前時代的なもの、古いもの、柔軟でないものとして映るのですね。血統をもってヒーローになるという「なり方」も併せて揶揄していそう。
 これを逆に考えると、武居一孝は従来のヒーロー像の"王道"、武居くんは典型的な"王道のヒーロー"としてストーリーに描かれている、ということになるわけです。

 

 さて、柊くんの記事でもちょっと書きましたが、「ヒーロー」という概念は、古典的には「主人公」と同一でした。私が「ワヒロが入れ子になっている」と言うのは、ワヒロのキャラクターが各々に自分が主役になり得るストーリーを持っている状態でワヒロのストーリーを構築している、という構成を指しています。この面で言えば、武居一孝は従来的には王道の主人公である、と言えます。これが冒頭に言った"武居一孝が古典的英雄譚の主人公として描かれている"ということです。
 意図的でなければ、浅桐さんがこういうセリフ回しになることはないと思います。……というかそもそも、浅桐さんと武居くんが因縁ある不仲として描かれているのもこの"王道"VS"邪道"の対立構造を見せるためではないかと思っています。だからキャラクターを作り出す時点で、キャラに背負わせるモチーフとしてのヒーロー概念が各々に決まっているのではないかと思ったのですよね。

 

 
 これは80話更新当時の私のツイート。
 初めて読んだ時の衝撃、この描写の物凄さを受け止めた時の驚嘆が忘れられない……

 

 

貴種流離譚の生い立ち、中心周縁構造の活躍

 度々古典英雄譚という言葉を使っているのですが、古典的な英雄物語には、明確なテンプレート、パターンが存在しています。

 そのひとつが、貴種流離譚と呼ばれる物語群です。

 

貴種流離譚 - Wikipedia

 

 ざっくりと説明すると「本来は高貴な血筋の主人公が、不幸/理不尽によって身分(ルーツ)を失い、その恵まれない境遇において旅をしたり、力を発揮して活躍する*3」というような物語の類型のことを言います。文学研究では非常によく知られている概念で、日本武尊ギリシャヘラクレスから、現代文学ではハリー・ポッターなどもこの類型に当てはまると言われています。

 これに関連して、ジョーゼフ・キャンベルの「英雄の旅」というアーキタイプも存在します。

 

ジョーゼフ・キャンベル - Wikipedia

 

 英雄譚において、主人公は異界、あるいは非日常へと旅をし、試練を経て帰還するという類型の分類です。

 さらに言うならば、これらを包括した概念として、中心/周縁構造の転用も考えることができます。

 

山口昌男 - Wikipedia

 

 これは山口昌男による中心と周縁の理論がトリックスター達だけではなくあらゆる物語構造にあてはめて考えることができるという考え方で難しいことを言うな!!!!!!!!
 取り乱しました。長々と小難しいことを話してすみません……物語構築の具体的な解説はこの記事の本意ではないので、もし詳しいことを知りたい方がいたら上に挙げたリンクなどから参考文献をご参照ください。

 

 要するに、古今東西の伝統的なヒーロー物語には、明確にパターンが存在するよということを言いたいのであります。で、そのパターンとは、

・出自は高貴
・不幸な境遇によって身分を失う
・本来の社会から追われている
・異なる社会、または異世界に旅をする
・帰還する
・力を持って活躍する
・ハッピーエンド→出自にあった王位/神位を継承する
・バッドエンド→その振るった力の業によって死を遂げる

 というような、かなり意訳した部分もありますが、おおむねそういう話になっているということです。
 実はこれらの類型が現代で作られているお話にかなり影響を与えていたりもして、いろんな物語が当てはまるのでよかったらお好きな作品を当てはめて遊んでみてください。私がいまパッと思いついたものだと、NARUTOとかもそうかなと思いました。

 

 それでは実際に武居一孝をこのテンプレに当てはめてみます。

・出自は高貴
→星乃のご落胤、政界中枢&ヒーローの直系
・不幸な境遇によって身分を失う
→認知されていない
・本来の社会から追われている
→幼少期星乃の系譜から追われている、中学に行かせてもらえない
・異なる社会、または異世界に旅をする
→星乃の系譜から追われている点。また本編で死の淵から蘇っている点。
・帰還する
→星乃家に戻されている。危篤から蘇り最終戦闘に参加する。
・力を持って活躍する
→本編の活躍、およびヒーロー活動全般

 ……ということで、完璧に合致することがお分かりいただけるでしょうか。
 蘇っている云々のところがちょっとわかりにくいかなと思うのですが、実は以前別のところでちょっと詳しく書いたこともあるので、もし引っかかっている方がいたらそちらも併せてご覧ください。

 

 またハッピーエンド/バッドエンドについても思い当たるところがあって、さっき挙げた80話の浅桐さんのセリフ、「星乃の直系は名誉と共に死ぬ」というような表現は、この"古典的英雄譚のバッドエンド"のことを指しているのだろうなあと思ったりしました。
 ハッピーエンドの方は、正義さんが結構意識した言動をしていたりします。正義さんのことを書いた記事で、「白星(星乃)のモチーフは"騎士道物語"だ」という話を出したのですが、星乃慧吾と志藤正義が王と騎士という概念であり、そして武居一孝と志藤正義もまた"王と騎士"という関係性だと思うのです。特に107話を見ると、この印象が強くなります。

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 でもその関係性が明言されないのは、武居くんが"ヒーロー"だからなのです。英雄譚の主人公だから、「王の道を往く道程」がストーリーとして記されているから、逆説的に武居一孝は「まだ王ではない」のです。

 また以前別の記事で、古典的英雄譚の主人公は、物語が英雄になる過程を描くものだから、物語内で自分が英雄だということを認識できないという話をしました。武居一孝は「古典英雄譚の主人公」なので、自身が英雄譚の主人公である認識がないし、逆説的に王への過程を歩んでいるがその意識もない。その示唆が正義さんや伊勢崎くんなどの、周囲の人間から匂わされるのみです。しかしそうやって匂わされているという事実が、より武居くんが"古典的英雄譚の主人公である"という認識を強くせしめるのです。

 

 実際、このような物語類型の視点を抜いても、武居くんは自身が「ヒーロー」である、ということにはあまり頓着していないように見えます。彼は自分のやるべきことを、信念のもと一心不乱にやっていて、その結果の自分自身というものには興味がなさそう。それがまた、実に"古典的王道ヒーロー"らしいなあと、思わされるのです。

 


●おわり

 かなり駆け足での記事になりましてすみません。もっとちゃんと説明するには物語体系の話とかをせねばならず、そんな難しい話はしてられないので端折ったらこのような感じになりました……
 武居一孝、ずっと語ってきましたがすごく思い入れがあるというか、ワヒロの筆致の物凄さ、シナリオに圧縮されたものの大きさに気づかされたきっかけのキャラクターなので、とても好きなんですよね。この記事の話もずっと書きたい書きたい言ってたやつなので、書けてうれしいです。
 それだけじゃなくて武居一孝ってマジのマジで良い男で夢女量産機*4じゃねえかと思ってたりもするのですが、またそれは別の機会に喚きたいと思います!
 武居くんハッピーバースデー!!!!!幸運ハピネスいっぱいのお誕生日をお過ごしください!!!!!

 

 

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*1:制作陣が意図している、いないに拘わらず。ストーリーを制作するうえで、結果的にそうなってしまった、という可能性もあると思う

*2:公式紹介の参謀肌、というところにも垣間見える。

*3:ハッピーエンドの場合は、最終的に報酬としての幸福を得る。神話・説話においては、この幸福が「王位(神位)の継承」となることも多い。

*4:ガチ恋にさせる魅力が有り余る男という意味のスラングで他意はありませんご容赦ください。私もその一人です。武居一孝が良い男なのが悪い。