ヤッターオタクたのしい!!

ワーーーーイ!!

佐海良輔の正義

 佐海良輔くんお誕生日おめでとうございます!!!!!!!!

 

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 佐海くんの真っ直ぐでまっさらで、折れないしなやかさがあるところが好きです。
 素直に喜んだり憤ったりして、理不尽に立ち向かう姿はとても生き生きとしてかっこいい。浅桐さんから凡愚て言われがちだけど、佐海くんにしかできないツッコミがたくさんある。佐海くんいないとマトモにストーリー進まないのではないかとすら思う……いつもありがとう……

 

 というわけで今回は、そんな元気で正直で強気で素敵な佐海くんに、わたしはちょっと怯えている、というお話の記事です。

 


●これからの正義の話をしよう

佐海 良輔
お兄ちゃん気質でツッコミ肌な、崖縁唯一の真人間。
明確な理想を持ち、そこへ到達するための努力を惜しまない。
正義感が強く、弱い者を守るためにヒーローを続けている。
妹と共に養護施設で育っており、現在はふたり暮らし。
冷蔵庫にある残り物で、パパッと料理を作るのが得意。
公式サイトキャラクター紹介より引用)

 

youtu.be

 

 キャラ紹介引用してて思ったんですけどこの人、「スパダリ」というやつでは?

 

 さておき、 キャラクターのモチーフ、背負っているテーマの話をいくつかブログ記事で書いてきたのですが、倣って佐海くんのモチーフを考えると、たぶん彼は"正義"を背負っているのだろうなと、まさしく言葉の通りの意味の「正義のヒーロー」なのだろうなと思うのです。

 正義といえば志藤正義、名前にそのものずばりを冠しているキャラクターがワヒロにはいるのですが、正義さんのストーリーのテーマは「正義そのもの」ではないんですよね。以前記事にも書いたのですが、星乃周辺の関係は古典的英雄譚の"王と騎士"の概念が持ち込まれていて、古典の中では「正義」に疑問を呈することそのものが起こりえないので、正義さんが担うテーマとしては成り立たないだろうと思います。

 ではどうして佐海くんが"正義"というモチーフを担っていると思うのか、というと、ストーリーを通した印象として、一番残るのが佐海くんのキャラ紹介にもある"正義感"なのです。「正義感が強い」というフレーズで言い表しきれていないのではないかというほどの、圧倒的な善性。

 ……圧倒的な善性、とか間違いのない正しさ、って言うと、なんか胡散臭い感じしませんか?私はひねくれた大人なので、なんか変だなって思ってしまいます。それで、私が佐海くんに感じる一抹の怯えというのは、おそらくそこに由来するものなのだと思います。佐海くんって圧倒的に善で、圧倒的に正しいのです。それが怖いのです。

 

 佐海くんは血性が強く、中学の候補生時代の成績も一位で、名門白星のスカウトを受けるほどの才能豊かなヒーローです。世話焼きで面倒見が良く家族思いで、弱者に手を差し伸べる奉仕の精神を持ち、折れない意志で悪を砕こうとする強さも持ち合わせています。なんかもう、絵に描いたような見事な「ヒーロー」。辞典に「ヒーロー物のヒーロー」の概念が定義される項目が有ったとしたら、そこには「例:佐海良輔」って書いてあると思います。
 その佐海くんの特異なほどの善性については、彼のサイドストーリーや、イベント『花やぐ絆とイースター』について詳しく描写されています。特にイースターのイベントでは、佐海くんが何を思ってヒーローを志したのか、中学時代の佐海くんが描かれます。

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『花やぐ絆とイースター』6話「凡凡凡愚」より

 佐海良輔は、生来、「模範解答」を地で行く男の子、ということがこの描写でわかります。ちゃんとセリフでも「正義」って言ってますね。

 

 「絶対的に正しいという概念ってちょっと怖い」。これって、私たちが「正しい」という概念の多様さを知っているからだと思うんですね。『これからの「正義」の話をしよう』という有名な本がありますが、

 

 マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)/Amazon,Kindle  
 (※アフィリエイトリンクではありません)

 

 この本の主旨はタイトルそのまま、これからみんなで「みんなの正義」という概念について考えていきましょうということなんですが、その論にはまず、今現在、私たちの「正義」って多種多様で、多様なまま共存を目指しているよね、という前提があるわけですね。だから、「これが絶対に正しいことです」と言われると胡散臭さを感じる。その人にとっての正しさが、もしかしたら誰かを傷つけているかもしれない、それって絶対正しいとは言えないのではないか?というケースを、私たちは身をもって知っています。また、「正義」と「正義じゃないもの」を分けるボーダーが移ろいやすいことも。何を基準に正しさを断ずるのか?多様な社会にあってそれは常に曖昧です。その危うさをうまく表現していて、佐海くんに対する"あやしさ"がすごく伝わるセリフで私が好きなシーンがあるのですが、

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『花やぐ絆とイースター』6話「凡凡凡愚」より

 もうほんとこれ。これなんです佐海良輔というのは。さっき「ヒーロー物のヒーロー」が辞書に載ってたら佐海良輔って書いてあると言ったんですが、佐海くんって本当に、勧善懲悪のヒーロー物が理想としていたヒーロー像、の権化なのです。

 特撮の歴史に明るいわけではないので誤解があったらすみませんが、等身大ヒーローが爆発的に流行した第二次怪獣ブームが昭和46~49年。1970年代は思想で言うとモダニズム全盛期で、ポストモダニズムがその画一性に批判的視点を与えるまでにあと10年は待たないといけません。急に難しいこと言いだしたぞコイツって感じですが、つまり言いたいことは、「勧善懲悪紋切り型のかつてのヒーロー物が理想としていたヒーロー像」というのは、「思想的にモダニズムということなのです。良いものは良い、悪いものは悪いと生得的に定まっているっていう世界観。悪しざまに言えば古い価値観。だから、浅桐さんからは「前前前世から凡凡凡愚」という批判を受けるわけですね。ちなみに前前前世よりさらに古くまで遡ると「化石」になります*1

 それで、そういう前世的な価値観の正しさの究極形態である佐海くんなわけですが、そのあやしさが一層際立つのが、佐海くんって自分本位なところがちゃんとある子なんですよ。聖人じゃないんですよね。

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『花やぐ絆とイースター』7話「敬にい」より

 

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メインストーリー第1章9話「エレクトリカル馬鹿野郎」より

 自らの及ばずを好き嫌いに転化するようなプリミティブな感情を持っているし、反抗心を原動力にしてしまうような面もある。すごく優しくてすごく面倒見がいいですけど、「嫌い」の感情が苛烈。また悪即滅という排他的な一面もあります。

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[ヒーロー]佐海良輔「ヒーローとして」より

 そういう、生身の少年を感じる、すごく良いやつですごくかっこいいやつだけど、聖人じゃないっていうキャラクター造詣の佐海くんが、「自分ジャッジ」で「弱い者守り」をしているっていうのが、すごく"あやしさ"を感じる一因になっているのだと思います。

 ある時、何かの拍子で、あるいは大きな誤解があってとか、意図しない原因とかで、取り返しのつかない断罪をしてしまいそう。善性を突き詰めることで、何かを修復できないほど傷つけてしまいそう。「正義」という概念は強いから、その強い力で何かを壊してしまいそう、という印象が、彼にまとわりつく"あやしさ"になっていそうです。

 


●綱渡りするバランス

 そういうような感じで、私ことひねくれた大人が佐海良輔くんという圧倒的善性に怯える理由をこじつけてきたわけなんですが。
 佐海くんのサイドストーリーでは、その"あやしさ"に対しての「解答」とでも言うべきエピソードが語られています。
 このサイドストーリーが、本当に巧いと思っていて。

 

 先に結論を書くと、佐海くんのあやしさ、イベストで言うところの「青さ」が"正義"の概念のあやしさをどう解決するか、それは"成長"と"協同"である、という、ことなんですわな……(?)

 

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サイドストーリー4話「手をつないで」より

 ここでは、佐海くんが自分の鬱屈、ルサンチマンに対して自覚的であること、それを過去のものとして自らで処理していること、そういったことが語られています。先に見たように佐海くんの個としての怒り恨みはおおよそ伊勢崎敬に集約されていくのですが、そこに詳しいきっかけの描写は無いのですが、ヒーロー活動を通して伊勢崎くんと共生していく上で、佐海くんは自分でその鬱屈を乗り越えたように見受けられます。描写が無いこと自体、語り足りないのではなく敢えて語らずの態度をとっているような気がする。仲直りの握手があったわけではなく、共にあることで自然に、というストーリーなのではないかと思います。

 だから佐海くんは折れる心の存在もわかるし、共感してあげられる。それでも佐海くんの"正義"が折れないことは、このサイドストーリーに登場する水瀬のような、"正義"に傷つく存在も生み出してしまうけど、

 

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 "正義"に傷つく存在は、北村倫理が助けてくれる。


 これからの「正義」の話をこれからする私たちは、みんなの正義とは何か?の答えをまだ持っていません。だから"正義"の概念に対する答えとしては、「己の正義を貫く」しかないのだと思う。佐海くんのあやしさは、成長と共感によって緩和させることはできるけど、完全にあやしさを消すことはできない。

 けれど志の異なる仲間がいることによって、解決はできるのです。みんなでやれば、みんなで救われることができるかもしれない。そして、共にあることによって、自らも変わっていく。受け入れる人の数が、種類が増えていく。

 

 今私は佐海くんの受容について、"成長"という理解の処理をしたんですけど、別の角度で考えてたことをツイッターでつぶやいたことがあって、

 

 こういうふうにも読めるなーと思う。
 普遍化すると、己の正義を貫きながら、自らも成長・変容して、また異なるみんなで共同していこう、というテーマの解決なんだけど、やっぱりこの懐の広さ、広げる風呂敷の大きさというのは佐海良輔くんの特異な点でもあって、だからこそ彼は特別なヒーローなのだ、とも思えます。
 前の段で言っていた、「理想のヒーロー」としての在り方ですね。

 

 究極に尖った「理想のヒーロー」を体現する、"正しい"少年。
 そのあやしさは、"少年の青さ"。

 

 佐海良輔というキャラクターが持つテーマは、このような描かれ方をしているのかなと思います。
 その描かれ方のバランスの良さ、絶妙さには感嘆しきりです。たぶん、ちょっと配分を間違えるだけで意図しない伝わり方をする、表現が難しいキャラクターだと思う。
 でも佐海くんはいつでもかっこいいし優しいし、あやうさに怯えたりもするけど魅力の方が断然大きい。大好きなキャラクターです。好きだな……と思うたびに、物語の表現力とその繊細さに圧倒されてしまうのです。

 

●おわり

 今回ちょっと勢いで書いてしまいわかりにくくて申し訳ありません……
 佐海くん自身は明快なキャラクターなんだけど、そのキャラクターを表現する筆致が、バランスがとてつもなくて、いつも佐海くんのことは考え込んでしまいます。「ヒーロー」というものを考えるとき、どうしても佐海くんをいつも引き合いに出してしまう。すごい男だよ……
 今日はみんなにたくさんたくさんお祝いされてください!ほんとにいつもありがとうね!!ハッピーバースデー!!!

 

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御鷹寿史の憧れ

 御鷹寿史くんお誕生日おめでとう!!!!!!!!!

 

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 見目好く上品で物腰柔らかな寿史くん、その王子様然とした印象に反して、スーパービッグ感情をこじらせがちなところがとても好きです。人間を感じる……
 華やかな相貌の裏で等身大に悩んで考えて、それでも大事なところは必ず決めてくれる仕事人でもありますね。個性バラバラ意思もバラバラ自由人なヒーローたちの中で寿史くんのような存在はほんとに貴重。いつもありがとう!

 

 というわけで今回の記事は寿史くんのお話なのですが、例によって白星の解釈がフンワリしているのでまたこの記事もフンワリした感じになってしまいそうですみません……
 さらーとお読みいただけたらと思います!よろしくお願いします!

 


●"ルール"に強い

御鷹 寿史
政治家家系で、親族から厳しい躾をうけて育った優等生。
心優しく、困っている人を放っておけない性格のため、
無意識のうちに自分を犠牲にしてしまうことも多い。
「自分の意思」をもって戦う白星の先輩を尊敬しており、
彼らのようになるべく、白星のヒーローとなった。
公式サイトキャラクター紹介より引用)

 

youtu.be



 寿史くんが持っているキャラクターのモチーフって、"逸脱"だと思うのですよね。

 

 ……いや突然何?って感じなんですが、まず、正義さん武居くんの記事で書いてきたのですが(よろしければ併せてお読みください)白星は王道の古典的英雄譚をモチーフにしていると思うのですね。それで、古典文学というのは東西を問わず「型」というものがあって、決められた役割を持つキャラクターが、決められた進行を担うことで物語が進んでいくわけです。「歌舞伎で赤い隈取をしている役者は"ヒーロー"である」、というような、一目でわかる明確なルールが物語の中にも存在して、ルールを守って進行していくのが、古典文学の姿です。
 そしてこの"ルール"というのは、寿史くんのキャラクターにおけるキーワードとなっている概念です。

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『新年最初の合同訓練』11話「心願成就」より

 この寿史くんの設定、ほんとによくできてて大好きなのですが、複雑でうまく説明できるかわからない……
 「ルールの中で強い」という設定に、色々な意味が込められていると思うのですよね。

 

 まず額面通り、「決められた内容を遂行するという行為に長けている」ということ。厳しいおうちで育てられた寿史くんのルーツが伺える設定ですね。

 

 そして、「規則規範に縛られる生活に適応している」「命に応じることに長けている」ということ。これは御鷹寿史が"王と騎士"の概念の、"騎士"であることに由来します。もうこのブログずっと王と騎士の話しとるやん。サビなので許してください。
 先日のバケツ通信*1で、星乃一族の指揮系統*2についても判明しましたが、星乃一族郎党ご親戚の皆様を騎士道物語の概念として捉えるならば、やはり御鷹家のご子息である寿史くんは圧倒的に"騎士"の概念なのです。王でもあり騎士でもある正義さん、王に成る過程の武居くん、王そのものである星乃慧吾くんと並べた時に、明確な物語上の役割の違いが見えます。主従の従、王を丞る近衛、そういう役割です。

 あとこれ面白いなと思うんですけど、寿史くんに関しては、この"騎士"という概念に、現代的な少女向け物語の文脈が付随されていますよね?笑
 つまり、90年代以前の少女漫画的な、男女恋愛における"私のナイト様"のような立ち位置の概念です。ストーリー上で一般人に人気があり、熱狂的なファンが多いという描写であったり、見目麗しいことがことあるごとに強調される演出は、この辺が影響してるんだろうなと思って面白いです。

 

 そして、「ルールの中で強い」という寿史くんの設定、このダブルミーニング以外に、古典的英雄譚をモチーフに背負っているキャラクターという意味が重なっているのかなと思うわけです。先に書いた通り、古典文学というのは「ルールを遵守して進行する物語」ですから、それを背負って、あるいはその物語の中に生きる寿史くんにとって、"ルール"というのは必要不可欠な概念であると言えます。

 

 こうした、寿史くんと"ルール"についてを踏まえたうえで、「その"ルール"を"逸脱"すること」これが寿史くんのキャラクターのテーマになっているのではないか?と思うのです。

 


●騎士は王子の夢を見るか

 例によって寿史くんのストーリーの重要な部分が語られるのはサイドストーリーになるのですが、そこでは寿史くんのおうちの厳しさや、ヒーロー活動を反対されていること、彼自身の気質や生育環境によって、おうちのルールに反することができないでいることなどが描かれます。
 サイドストーリー内では、白星の皆をはじめとする周りのヒーローの助力によって、寿史くんは自らの意志を発信し、そしてこの問題は解決とはいかないまでも、一応の落としどころを見せるのですが。

 "物語"という視点で考えると、「キャラクターの意志」という考え方って、"現代的"なのです。

 なぜなら古典文学においてはキャラクターは明確な役割を持っており、その役割を進行する装置なので、キャラクターの意志とかは必要ないのです。三兄弟でヒーローになるのは必ず一番下の弟ですが、そのとき二番目の兄が何を考えているか、三番目よりも成功したいと本当に思っているのかとかは、物語にとってどうでもいい話なのです。これはサブキャラクターだけでなく、主役たちにも同じことが言えて、お姫様が主人公の物語では、お姫様が本当に王子様と結婚したいと思っているのかなんてことはどうでもよくて、ただただ「お姫様だから王子様と結婚する」という事実があるだけなのです。

 

 現代になって思想が発展したことで、こうした「役割としての人物像」に疑問が呈され始め、"ロールに反するキャラクター"の作品が次々と現れました。フェミニズムの反論を受けたディズニー映画の試行錯誤の歴史とかは有名な話ではないでしょうか。日本のサブカルチャーにおいては、代表的な例が『セーラームーン』ですね。ロールが「お姫様」だけど、行動が「王子様に守られる」ではなく「みんなを守る」になり、与えられた"役割"から"逸脱"している設定というわけです。
 特に90年代後半~00年代のサブカルチャーシーンは、この『セーラームーン』に影響されたのか定かではありませんが、ロールを破壊する物語というのが、もうめちゃくちゃたくさんあります。平成ライダーと呼ばれる仮面ライダー作品群もそうですし、戦隊ものも大きく変わった時期ですし。それらの中で「ロールの破壊を試みた作品」として特に名前を挙げられるのが、その『セーラームーン』にも携わっていた幾原邦彦監督によるアニメ作品『少女革命ウテナ』ではないでしょうか。この作品では明確に「役割」と"逸脱"を意識した発言をキャラクター自身にさせているので、ちょっと長いシリーズですが、見たことがない方はぜひ見てみてください。

 

 長々と前提を話してしまったのですが、こうした"役割"という面での古典文学の文脈と、「その文脈に反抗する物語」の文脈があって、御鷹寿史というキャラクターは、後者の文脈のただなかにいる存在なのではないかと思うわけなんですね。
 寿史くんは、「御鷹家の息子」という"役割"とその行動を求められていて、そこに寿史くん自身の意志は求められていない。けれども寿史くんは、自ら「ヒーローになりたい」という憧れを抱きます。

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サイドストーリー4話「扉の先」より

 ここで白星が古典的英雄譚のモチーフを背負っていることが絶妙に活きてくるのですが、"御鷹寿史"が"ヒーロー"を志すということは、"騎士"が"王"になりたいと願う、っていうことと同義なのです。古典文学において、「英雄」はすなわち「王」だからですね。だから、寿史くんの憧れの先って、星乃慧吾・志藤正義という、"王"の要素を持っている人に向いている。

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 そして、じゃあどうやって、"役割"を"逸脱"していくのか?ということなんですが、これはストーリー上ではまだ解決していません。

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 御鷹寿史の物語はまだ途中で、続いていく、という風に読んでもいいなあと思うんですが。
 この役割の逸脱、というテーマの解決法って、「そもそものルールを壊す」ということになりがちなんですね。寿史くんの話で言うと、「"王と騎士"の概念を壊す」という結論になりやすい。役割なんてそもそもいらないんだ、"個人"なんだ、という解決方法ですね。それを考慮すると、武居一孝が御鷹寿史と"友人"であろうとするその心が、突然大きな意味を帯びる……ような気がするんです。
 二人が同学年になって、敬語を使わないで、友人として肩を並べていることに、すごく意味があるなあと思うのです。

 


●おわり

 というわけで、なんだか話がごちゃごちゃしてしまいましたが、寿史くんと"ルール"、その逸脱についてのお話でした。
 この役割と逸脱というテーマは形を変えて寿史くん以外のシーンにも出てきてるんじゃないかなあと思っていて、またそれは改めて考えたいなと思ってます。
 本当は、寿史くんの憧れについてもうちょっと深掘りしたいのですができませんでした……
 寿史くんが「どうして」「いつ」ヒーローを志したのか、っていうのをしっかり考えたいなあと思うのですが描写を思い出すことができなくて。もし寿史くんの憧れについて、ここに書いてあったよ!っていうのがあったら、お題箱とかコメントやツイッターで教えていただけると、とてもうれしいです!

 では改めて寿史くんハッピーバースデー!!!!買い食いなり夜更かしなり好きにやってワクワク楽しい日にしてもらいたい!!!おめでとう!!!


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*1:アニメディア2021年10月号「子どもの情景」

*2:ていうか現代社会で親族の指揮系統ってどないやねん

透野光希と物語の結論

 透野光希くんお誕生日おめでとうございます!!!!!!!

 

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 8月31日、夏の最後の日生まれってなんだかとっても光希くんっぽい。
 晩夏のキラキラが良く似合う、優しくて素直で、でも陰りを内包している光希くんは、ワールドエンドヒーローズの"もう一人の主人公"でもあるでしょう。

 

 今年はこれまでキャラクターのそれぞれについてブログ記事を書いてきたんだけど、光希くんの記事では何を書こうか、マジで柊くん書いてたあたりからずっと考えてて……
 というのも、光希くんに関しては書けることがありすぎるんですね……
 全部書いてるととっ散らかっちゃうし、そもそも題材は山のようにあるんですけど解決してなかったり、私がよくわかってなかったりで、どういうことを書くかほんとに悩んだのですが。
 まあでも答えがあるものでもないし、ハナから好き勝手書いてるブログなので、今回も気にせず好き勝手書いていこうかなと思います。それを思考の放棄と言う。
 そういうわけで今回は、光希くんのキャラクターとしてのあり方という、非常にざっくりふんわりした記事です。

 


●「問い」と「答え」

透野 光希
穏やかで純朴な、記憶喪失の不思議な少年
過去の記憶はないものの物覚えは抜群に良く、
一度見聞きした物事は、ほぼ完璧に覚えることができる天才。
普段はぼんやりしているが、興味対象への好奇心は旺盛。
やや天然で、気がつくとひとりで鳥などを追いかけている。
公式サイトキャラクター紹介より引用)

 

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 さてじゃあなにからお話しようかなという感じなんですが、光希くんと言えばやっぱり、本編の初登場シーンではないでしょうか。白星第一学園にて、三津木慎くんと出会うシーンですね。

 

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1章第2話「不思議な少年」より

 お話の主人公である慎くんとの出会いは、すなわち読者(私たち)との出会いでもあります。"ヒーロー"を主題とする物語『ワールドエンドヒーローズ』の中にあって、実は透野光希くんは、読者が最初に出会うヒーローなんですよね。
 そんな「"ヒーロー"透野光希」との出会いを経て、慎くんはヒーローになることを選びます。慎くんがヒーローになるきっかけ、ターニングポイントが光希くんとの出会いというわけなんですよね。

 こうしてまずは先輩のヒーロー、慎くんをヒーローの道へ導く存在として現れる光希くんなのですが、物語中で、その立ち位置がどんどん変化していきます。この変化が透野光希というキャラクターの一番面白いところだと思うんです。他のメインキャラクターは、性格としてのギャップやそれぞれが内包する困難はありますが、物語における役割が変化することはほぼありません。でも光希くんは、「光希くんを主役とする物語」の進行が、「慎くんを主役とするワヒロ本編」に大きく影響を与えるんですよね。だからやっぱり、光希くんは第二の主人公であると言えると思います。

 

 じゃあ「光希くんを主役とする物語」が進行するのはどこか、という話なんですけど、
 

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2章第2話「フレンドリーな学校」より

 まず2章に入ってすぐ、光希くんと慎くんの会話が挿入され、光希くん側からの歩み寄りがあります。ヒーローになるきっかけになってくれてありがとうと言う慎くんに対して、光希くんが「どうして戦うのか」という問いかけを提示する。その問いに対して答えを持たない慎くんに、光希くんは「僕もわからない」と言う。こうして、光希くんが慎くんを"導く"存在なのではなく、"共に歩む"肩を並べる存在だよということが明示されます。

 これタイミング完璧ですよね。なぜなら、2章の冒頭は、崖縁高校が北区の認可を受け、ここから現れる各地区の認可校のひとつとして活動を始めていく、そのタイミングなのです。1章の大きな課題、「認可を得る」ことを達成して、ストーリーが加速するタイミングで、光希くんと慎くんの関係性が変化します。それと同時に導く者と導かれる者から、共に歩む者になるという形で、ストーリーの展開が二人の関係性に示唆されています。

 こうして並び立って行く光希くんと慎くんなのですが、最初に光希くんが提示した「どうして戦うのか」という問いかけは、実は慎くんの方は2章内で早々に解決してしまいます。

 

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2章第36話「特別なヒーロー」より

 この35話、36話は"北村倫理というヒーローとの出会い"もあり、非常にボリュームが大きくて理解が追いつかない部分もあるのですが……とにかくここで慎くんは答えを得ており、光希くんの方だけが「戦う理由の答えを探す」というフェーズに置かれ続けることになります。

 

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3章第43話「自分の記憶」より

 3章で改めてまた二人の会話が挿入されます。友情に涙する指揮官(急に出てくる自我)
 どうして戦うのかという答えを持っていない、持てない理由が「自分の過去がないから」であると考える光希くん。それに対して、僕も何もなかったようなものだから、これから作っていくんだと返す慎くん。エモがとどまるところを知らない。

 でも実はこれ、並列じゃないことにお気づきでしょうか。

 慎くんが「これから記憶を作っていく」とプラスの動き、前進しているのに対して、光希くんは「記憶を取り戻す」マイナスからゼロに戻す作業。光希くんだけ、現地点から動けないでいるのです。

 ストーリーにおいて、主人公の慎くんと「共に歩んでいく」という、キャラクターの関係性は変わっていませんが、2章から3章にかけて、光希くんのストーリー上の役割が明確に変化していることがわかります。ここで慎くんが先に一歩進むことで、光希くんは"慎くんとは違うテーマを担うキャラクター"という役割を持ったのですね。

 

 そして、なぜ光希くんは戦う理由を持つことができないのか、その理由は彼の出生に置かれています。ちゃんと全部に理由があって構成されてる、ほんとに緻密な物語だよ……

 

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4章第91話「過去の真実」より


 ここで光希くんは「人造人間の器体」であることが明かされます。ここの七見とヒメさん、めちゃくちゃ悪役ですごい。

 

 ところで、このブログではたびたび、物語の類型を持ち出しているのですが、昔話や古典的英雄譚の類型のひとつに、「異常誕生譚」というのがあります。不思議な出生、人ならざる出生をもつキャラクターが主人公として英雄となるストーリー群です。古今東西様々な文化でこの類型を見ることができ、神話であればミノタウロスなど、日本の昔話なら桃太郎やかぐや姫が有名ですね。

 光希くんの出生も、この類型に当てはめることができるといえばできるのではないでしょうか。私はキャラクターそれぞれに、英雄的なモチーフを設定として持たされていると思っているのですが、光希くんのモチーフになり得るものといったらこれ「異常誕生譚」かなあと思っています。

 

 少し話が逸れましたが、こうして光希くんの出生が本編で明らかになると、また光希くんの役割が変化します。「なぜ戦うのか」この問いの答えを持たない=そもそも問いが成立しないという現実を突きつけられ、絶望した光希くんは、今度は"敵"として慎くんと相対することになります。光希くんのテーマ「なぜ戦うのか」は「なぜ(ヒーローとして世界を守るために)戦うのか」という意味ですから、この問いの答えを持たないということがすなわち、「ヒーローとして世界を守るためには戦わない」=「ヒーローではないものとして戦う」=敵という事象に結びついてくるわけですね。

 敵となった光希くんに対して、慎くんは逡巡するものの、きちんと相対し戦うことを選択します。この逡巡と選択、思考の過程は5章第100話「自分の正しさ」において、非常に丁寧に描かれています。今回は光希くんの記事なのでここを詳しく取沙汰はしませんが、これまで出てきた「きっかけ」「問い」「答え」をしっかりとすくいあげておりものすごいです。しかもこの次の101話で描写される佐海・北村、指揮官や神ヶ原さんの様子が、キャラクターのいる意味を明確に描き出しており……この光希くんVS慎くんの戦い周辺の一連の流れは、やはり物語のテーマの肝でもあるためか、描写の意味付けがことごとくものすごいんですね、構成力の高さ……ひしひしと感じる……
 

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5章103話「残り3時間」より

 「なぜ戦うのかという問いを持つことができない」光希くんの出した「答え」。「ヒーローはいない」。
 光希くんのキャラクターを考える上で悩ましいのが、「773-Bの自我is何」という問題なのですが……いやマジで773-Bの自我is何……どうして現れた……
 ただ、この「ヒーローはいない」というひとつの答えを提示する(慎くんがその答えを打ち破るために)、その提示のために773-Bという存在の自我が必要だったのかなあと思います。ここはまだ要検討……

 

 この「ヒーローはいない」という「答え」を明確に否定する慎くん。

 

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 ここで光希くんが物語の冒頭、慎くんの「きっかけ」であったことが活きてくる。
 このシーンかなり重要なんですが、このお話が更新された直後にもツイッターでしゃべったことがあって、

 

 
 ……ていうことなんよ。過去のツイートで記事書くのをサボるな

 

 過去の記事にも何度か出てきていますが、ワヒロのストーリーでは"ヒーロー"という概念をかなりメタ的に認知しており、「キャラクターがヒーロー(英雄)である」ということ自体が物語を推進する装置になっています。そうした物語にあって、光希くんは「もともと自分のものではなかった自我の喪失」というストーリーを持ち、その自分のストーリーを根拠に「ヒーローはいない」と言う。これはつまり、「物語の役割があるだけだ」という意味です。作中主観で言うと「社会における役割があるだけ」とも言えるかな?

 ここまで光希くんの役割はこうだ、その役割がこう変わる、というふうに記事を書いてきて、ここで光希くんに私は逆襲されているわけですね……結局役割なんだと……身につまされる……

 

 しかしそこで、主人公・慎くんが否定してくれます。君はヒーローである。そして、僕もまた君のヒーローである。これは、承認であるとともに自認です。

 メタ的認知があることで"ヒーロー"は役割として運用されてきた。物語を推進してきた。だけど、本来の"自認"の役割はそうではないはずです。自分を認めて、自分を理解することは、まさに自らのために行われるべきことです。慎くんがここで行っているのは、そうした本来の意味の、純粋な意味の自認として「自らをヒーローであると認める」こと。そしてそれが、「きみ(光希くん)の戦う理由の答えになるはずだ」ということです。ヒーローである自認がすなわち、戦う理由に転ずる。そしてさらに、これを信じることが、すなわち光希くんを救うことになる。なぜなら、光希くんは「なぜ戦うのかという問いに答えを持てないことに苦しんだ」人だからです。

 

 『ワールドエンドヒーローズ』は、「どう戦うか」を問う物語だ、と以前の記事でも書いたことがあります。「どう戦うか」という物語なのです。「なぜ戦うのか」ではないのです。なぜなら、ヒーローの自認がすなわち、すでに戦う理由だから。他に理由はいらないのです。この結論の出し方が本当にすごい。すべての正義を、すべての戦いを、すべての願いを内包している。多様な思想が入り乱れ、それを肯定すべきという多様性の現代にあって、『ワールドエンドヒーローズ』はあらゆる戦いを許容している。そのうえで、ではどう戦いますか?と、そう問いかける物語なのです。

 

 こうして「役割じゃないんだ」という結論が出たところでこれを申し上げるのは大変恐縮なのですが、ここでもまた光希くんの立場はスライドしており、敵から救うべき対象、そして"救われたもの"に変化しています。でもこれがすごく重要で、慎くんと光希くんの関係は"お互いに救う""お互いにヒーローだと認め合う"というものになる。だって、「君はヒーロー」であり「僕はヒーロー」である、これがストーリーの結論だから。確かな自認を持つとともに、その自認を認めてくれるだれかがいること、これが重要なのだということです。

 この結論は、光希くんの役割が刻々と変化していったこと、それによってストーリーが動かされてきたこと、その積み重ねがなければ活きてこないのではと思います。本編で慎くんが決意し選択する信念は、光希くんの存在に大きく左右されている。

 光希くんの存在が大きいことは言うまでもないかもしれませんが、こうして順に追いかけてみると、非常に綿密に構成されている、密度の高い物語であることがわかるのです。


●おわり

 なんかオチが見当たらなくなってきたので強制的に〆ます
 光希くんはその特性上、語ろうとするとどうしても本編をなぞっていく感じになってしまうので、あらすじみたいになってしまいすみません。本当は773-Bの自我is何の話もっとしたかった(わからない)
 これを踏まえてイベントストーリーを読むともう…ほんとうに……えらいことなんだ…(?)イベストの話もしたいですね……無限に語れるな……サービス終了しても遊びつくしますとサービス終了するとき言ったのですが本当に遊びつくしています、ありがたいことです。
 とにもかくにも光希くん、ハッピーバースデー!!!!きみの誕生日のお祝いができて私は嬉しい!!みんなにも思いきり優しくされてくれ!!!

 

 

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超人、矢後勇成

 

 矢後勇成さんお誕生日おめでとうございます!!!!!!!!!!!!


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 強くて縛られない矢後さんの常に戦っているところが好きです。
 あと、気分屋でダウナーなんだけど、意外と周りを冷静に見ていてツッコミ気質なところとかも好きです。復刻温泉イベの追加ストーリーで、正義さんに「(卓球台を)壊すからやめとけ」って言うの、キミが言うんかいと思って笑った。
 風雲児の愛され総長、圧倒的なパワーを持って敵と対峙する姿は、本人が望む望まざるに拘わらず、やはりまさしくヒーローなのです。いつもありがとう!!

 

 さて今回は、矢後さんのテーマがそのものずばり"生きること"である、というお話です。

 


●かく語られき

矢後 勇成
不良ばかりが集まる学校、風雲児のトップ。
痛みを感じない特殊体質のため、馬鹿力が出せる「超人」。
気管支系の重い合併症を患っており余命宣告を受けているが、
何故か余命を更新し続け、医者に不思議がられている。
派手な喧嘩以外に興味がなく、暇なときはだいたい寝ている。
公式サイトキャラクター紹介より引用)

 

youtu.be


 特別な力を持った出生というのは実に英雄っぽいですね。特異体質、特別な出生というようなわかりやすい「特別さ」が、一筋縄ではいかない子たちにばかり付与されているのが、ワヒロ全体に根を張る逆張りの精神というか、アンチテーゼというか、意思的なものを感じて面白いです。
 そういういかにもヒーローっぽい矢後さんの設定なのですが、実は矢後さんのモチーフは、かなり明確にされています。珍しく(本当に大事なことはわりとなにも書いてない)公式キャラ紹介にも出てきています。
 矢後さんを象徴する単語、それは"超人"です。

 

 当たり前やないかと思われるかもしれませんが、これはおそらく哲学用語です。つまり、ニーチェツァラトゥストラはかく語りき』で著されている、ニーチェの言うところの"超人"であります。


 ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』(河出文庫)/Amazon,Kindle
 (アフィリエイトではなく通常リンクのシェアですのでご安心ください。)

 

 つまり矢後さんの話をするということは、ニーチェの話をするということであり、ハア・・・・・・めちゃくちゃ気が重てえ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 浅学なもので、超人思想を理解しているとはまったくもって言い難いのですが……わかってないものを説明するのものすごく腰が引けるのですが……とにかく今回は、矢後さんがなんで"超人"なのかというところを、さら~とふわ~とお話していけたらなと思います。ご勘弁ください。よろしくお願いします。事前の保険のかけっぷり。


 じゃあそもそも、"超人"てなんなのかというところなんですが、ニーチェの基本的な世界観が「永劫回帰」といって、要するに絶望的なこの世が延々と同じように続いていくんだよという、救いなんてないよというペシミズム的な捉え方だという前提があります。終末の裁判なんて来ないし、終末が来ないから救われることもない。神教的価値観の否定ですね。
 これ、すごいワヒロの価値観ぽくないですか?
 地球が地球として存在する世界が、恒常性を保って永遠に続いていく。そんなことは苦痛だから、自らの手で終末を起こしてやろうとしたのが七見たちアンノウンズだと、そういうことなんですねえ~。今なんで急に池上彰さんになったの?

 

 まあそういう、不変で無意味なこの今日が毎日永遠に続いていくという世界観の中で、人間たちは暮らしているわけですね。人同士の争いで怯えたり悲しんだり、平穏を求めたりする。来世信仰的な宗教の多くは、最大の幸福を「安寧」だとします。"恐ろしいことがおこらないこと"が幸福だとする考え方ですね。そういう安寧を、普通の人々は求めている。
 そんな普通の人々に対して、「いや、安寧が幸福なのではない。今の不変で無価値な一瞬一瞬に価値を見出し、肯定的に生きるのだ」として生きていく考え方をニーチェは提唱しています。そしてそれを行う人間こそを、"超人"と呼ぶのです。安寧を求める"ひと"を超越し、"己の生を生きる者"。
 自身の確たる意思をもって、不変である同一の経験を価値あるものにしている者。それが"超人"であり、矢後勇成のモチーフなのです。

 

 ……ああこえ~~~!!!わかってないこと説明するのこわ~~~!!!間違ってたら容赦なくつっこんでくださいね、どうぞよろしくお願いします……!!!!

 


●運命に抗わず、運命を覆す

 矢後さんは、病に冒され、余命を宣告されています。イベント『春の昨日の、その明日。』では、日常生活も具体的に制限されていたのだろうというところまで描写されています。

 
 これは復刻イベント当時の私のツイッターでのぼやき。
 こうした生い立ちがあるからこそ、矢後さんは"今を生きる"ということにものすごく執着します。この刹那的な"生きる"とは、つまり、"超人"として生きる、ということです。今日という日に意味があるように、意義ある繰り返しの体験の積み重ねという人生であるように生きるということ。そして矢後さんの「意味」は、"特異な体質の生まれ"という英雄性の因果をもって、"戦い"へと向かっていくことになります。

 もう何回も繰り返してるのでブログ読んでくださってる方には耳タコだと思うんですが、私はワヒロの物語を「どう"戦う"かが、すなわちどう"生きる"か」というお話だと捉えています。矢後勇成というキャラクターは、特にその特質を体現していると思います。こと矢後さんにおいては、"生きる"と"戦う"がほぼ同一と言っていいくらいに密接になっている。面白いのが、こうした矢後さんの"超人"としての在り方が、「結果的に」矢後さんの運命を覆す結果に結びつくというところです。

 矢後さんの生き方は、矢後さん自身の意思として、運命に抗いたいと思っているわけではないと思うんです。ヒーローとしてもそうで、ヒーローでありたいと願っているわけでは決してない。矢後さんはひたすらに己として今を生きているだけ。それが結果的に、「矢後勇成が死ぬ」という運命を覆し、運命を変更するという、ワヒロにおけるヒーローとしての在り方を全うしている。「生きること」を全うするから、逆説的に「死なない」ので、「死ぬ運命を覆す」。複雑でめちゃくちゃ面白いですよね……だけど矢後さんの意思はすごくシンプル。この緻密さがほんとにおもしろい。ワヒロの面白さの最たるところですよね。

 

 

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 これは[桜の木の下で]矢後勇成のカードストーリー「体が痛まなくても」の一場面なのですが、私この比喩がすごく好きなんですね……美しくて……
 なかなか開かない踏切は、明確に此岸と彼岸の境目を象徴しています。矢後勇成は、開かない踏切の前で"ただ待っている"のは、「ダルい」。良しとしない。

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[桜の木の下で]矢後勇成カードストーリー「体は痛まなくても」より

 

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『春の昨日の、その明日。』9話「平等じゃねえ」より


 そこに指揮官から連絡が入る。ヒーロー矢後勇成へ、出撃の依頼です。矢後さんは踏切の前で待つのをやめて、戦いへと踵を返す。

 

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『春の昨日の、その明日。』9話「平等じゃねえ」より

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矢後勇成サイドストーリー4話「まだ生きる」より

 カードストーリーの、「踏切前」というなんでもなさそうな情景の描写が、矢後勇成の生き方そのものの比喩になっているんですよね。


 そして、矢後さんの、命の限界に端を発した刹那的な価値観は、結果として"超人"としての生き方に結びつき、その生き方を全うすることで、ヒーローとして存在している。すごい構成だ……

 


●物語全体のテーマ

 矢後さんのこの、"生きる"というテーマなんですが、これってワヒロという物語全体を支配しているテーマだと思うんですよね。さっきも言った、「どう戦うかがどう生きるか」という話ですね。
 極端なことを言ってしまえば、生きるって「命がある状態」も"生きる"って言うんですよね。でも、そうじゃなくて、何を選ぶか、どう行動するか、何と戦うか、そうした選択に自分の確固たる意志があるのか。その答えを手に入れてはじめて、「生きる」と言えるんじゃないのか。ワヒロのテーマって、そういうことだと思うんですよね。

 巡くんの記事を書いたときにも思ったんですが、自分が何者であり、何を為し、何を決断するのか、を強く問う物語。
 矢後勇成というキャラクターは、そのテーマに対する"答え"のひとつなんだと思います。

 

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メインストーリー5章109話「世界の最後」より


 最終局面において、運命の巻き戻しに即答する矢後さん。この潔さは、"生きた"からこそであり、その結論の速さがまた、やはり矢後さんは「答え」なのだなと思わされる。

 

 Q.どう生きるのか?
 A."超人"として生きる。今に価値を、意味を見出して生きる。

 

 矢後さんの表面だけをとらえてしまうと、じゃあ例えば闘病のために何も為さないことを選ぶのは戦ってないのか、ということになってしまう。でも矢後さんは"超人"なので、決して為さないことへの否定ではないんだなと思います。"超人"の持つ体験は、「己の確固たる意志」によって十全に本人に委ねられるからです。生き長らえるために何も為さない、という選択に確固たる意志がある決断ならば、その生き方もまた"超人"として生きていると言えるからです。

 そしてまた、矢後さんに「対立」する存在もあります。それがワヒロの面白いところで、答えがひとつではないんですよね。
 あくまでも、矢後さんは「答えという可能性のひとつ」。だからこそ、矢後勇成というキャラクターが自由で生き生きとして見える。それに、矢後さん自身に多様な可能性が見えるのだと思います。戸上さんと肩を並べたり、頼城さんと小競り合ったり、久森くんから大仰な誤解を得たり理解を得たりする。答えだからといって完全に完成しているキャラクターではない。そこがまた魅力ですよね。

 


●おわり

 今回は…とても不安です……いつもフワフワした記事ですが今回は特に説明ヘタクソマンになってしまった気がします……すみません……愛はあります……なんかわからないところ、間違ったところがあったらコメントなり、twitterやお題箱なりで教えていただけると、たいへん助かります……
 矢後さんの強いテーマ性、その生き様、描かれ方がすごく好きなので、今回お話できてよかったです。
 それとは別に矢後さんの猫っぽいところ、最上級生なのになんか甘え上手じゃない?みたいなところもたいへん好きです。かわいい。今日は舎弟の皆さんにたくさんお祝いされていることと思いますが、私も混じって元気にお祝いの花火をぶち上げたいと思います。スイカも買ってあげようねえ。ハッピーバースデー!!!!!!!!!

 

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武居一孝は王の道を往く

 武居一孝くんお誕生日おめでとう!!!!!!!!!

 

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 武居くんの良いところは武骨な芯が絶対にぶれずにあるところだなあと思うわけです。
 でもそれだけじゃなくて、そういうハードボイルドな人であるのにかなりユーモアもあるんですよね。
 「上階に石油が湧いてんじゃねーの」を筆頭とした、武居一孝独自の言語センスによる愉快なセリフの数々は、強烈なインパクトをもってワヒロユーザーに“武居語録”として(?)親しまれています。私はカニは関節技決めたら勝てるだろ」とかも好きです。
 慧眼で有能、努力家、オモロと三方敵無しの武居くんですが、今回の記事は「武居一孝は王である」というお話です。は???いや待って、順番に説明させて。

 

 

●"ヒーロー"の、"生きた化石"


武居 一孝
頑固でクール、おまけにプライドの高い参謀肌のエリート。
医師が強く真っ直ぐな性格の持ち主で、文武両道の実力者だが、
浅桐が起こした事故に巻き込まれたため、留年してしまった。
人の顔色を気にせず直球で発言するので、一見すると怖いが、
なんだかんだで世話焼きで、高校生らしい一面もある。
公式サイトキャラクター紹介より引用)

 

youtu.be


 この公式紹介見るたび思うんですけど、確かに情報は嘘じゃないけど、本当のこともあんまり書いてないよな。


 そのものずばりを言ってしまうのですが、武居くんは政界の最重鎮である星乃家の、その当代のご落胤です。
 星乃家という存在はかなり重要なキーワードで、本編中もイベントストーリーでも何度も出現しますし、武居くんだけではなく白星を中心に様々なキャラクターに関わってきます。ワヒロの世界における"ヒーロー"という存在の最初の一人を生み出した家系であり、そして政治の力でその"ヒーロー"の能力を国防に運用するため尽力した家系でもあります。つまり、政治的に重要≒社会的に強い力を持った一族であり、ヒーローのはじまりであり、かつヒーローが活躍するための中核を担ってきたお家柄というわけですね。

 

 ブログ上でたびたび言及してるのですが、私はワヒロのキャラクターが「それぞれ、ヒーローという概念の一要素をモチーフとして設定されている*1」のではないかな、と思っています。今まで記事を書いたキャラクターで言うと柊くんの《成長》、巡くんの《人命救助》、戸上さんの《戦い続ける境遇》なんかがそうです。そして、なんでそういうふうにヒーローの要素がキャラクターのモチーフになっているかというと、「『ワールドエンドヒーローズ』は、ヒーローを救うヒーローの物語である」から、と考えているのです。
 キャラクターのみんながそれぞれ、これぞヒーローという要素をモチーフに持っていて、各々の英雄譚を持っている。そんな多数のヒーローの物語が集結してワヒロという舞台で戦っていて、やがて危機に陥る。そのヒーローの危機を救うヒーロー、三津木慎が主人公の英雄譚、がワヒロのメインストーリー。そういう入れ子の構造になっているのかなと思っているのです。
 それで、そもそもなぜ「『ワヒロ』が入れ子の構造になっているのだ」と発想したのかというと、「武居一孝が古典的英雄譚の主人公そのものである。しかも、それを意図して描写していそう」と気づいたからなのですね。
 それに気づいたのは、本編第3章。80話「判断と選択」に出てくる、浅桐真大の一連のセリフです。

 

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 「仲間を守るために、引き返すか否か」の論争で、武居くんは即座に全員で引き返す方を選びます。それに反論して浅桐さんは戦力を2分し、作戦の続行を計画するのですが、この時武居くんを批判するために出てくるワードがこの"正義のヒーロー""星乃の直系"なのです。これはちょっと、罵倒としてはおかしいチョイスです。武居くんの、みんなを守るために引き返そうという選択を「それは正義のヒーローのやることだ」と言ってるわけですからね。
 なぜこのような言葉選びになるのか。それは、浅桐さんと武居くんのキャラクター造詣に理由があります。

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 「邪道の先にある最高」。要するに、"王道"武居一孝VS"邪道"浅桐真大の対立構造になっているわけです。
 そもそもの話ですが、こうして浅桐さんに批判されているところだけを見ると武居一孝がすごく直情的な男に見えるのですが、でも実際武居一孝というキャラクターは、基本的に合理性を尊ぶ人なのです*2。がむしゃらな面があり、自他に厳しいことを言う人だし、トンチキな面白発言をする人ですが、むちゃくちゃなことは言わない人なのです。だから80話のこのシーンは、「情に流される武居を理性で諫める浅桐」ではなく、「己の理をもって最善行動をしようとする武居と、その『理』に物申す浅桐」というシーンだと思うわけなんですね。
 じゃあその『理』って何かというと、"仲間の危機を救うべきという観念"です。まさに正義。ヒーローに必要不可欠な道徳心。しかし浅桐さんはそのヒーローならあって然るべき観念に異を唱えます。なぜか?なぜならば浅桐さんにとって一番大切なのはハッピーエンドだからです。ここに決定的な価値観の違いがあります。多少ヒーロー適正を曲げてでもハッピーエンドにたどり着くべき、と浅桐真大は考えている。それが武居くんへの批判となって現れているのですね。

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 浅桐さんにとって武居くんの考え方、「理をもってことに当たり最善を尽くす」という考え方は"ヒーローの化石"。前時代的なヒーロー像だという揶揄です。人一倍"ヒーロー"という概念に拘りのある浅桐さんは、自分の在り方こそが絶対的にヒーローである、という自負があります。そんな浅桐さんにとって、武居一孝のヒーローとしての在り方は前時代的なもの、古いもの、柔軟でないものとして映るのですね。血統をもってヒーローになるという「なり方」も併せて揶揄していそう。
 これを逆に考えると、武居一孝は従来のヒーロー像の"王道"、武居くんは典型的な"王道のヒーロー"としてストーリーに描かれている、ということになるわけです。

 

 さて、柊くんの記事でもちょっと書きましたが、「ヒーロー」という概念は、古典的には「主人公」と同一でした。私が「ワヒロが入れ子になっている」と言うのは、ワヒロのキャラクターが各々に自分が主役になり得るストーリーを持っている状態でワヒロのストーリーを構築している、という構成を指しています。この面で言えば、武居一孝は従来的には王道の主人公である、と言えます。これが冒頭に言った"武居一孝が古典的英雄譚の主人公として描かれている"ということです。
 意図的でなければ、浅桐さんがこういうセリフ回しになることはないと思います。……というかそもそも、浅桐さんと武居くんが因縁ある不仲として描かれているのもこの"王道"VS"邪道"の対立構造を見せるためではないかと思っています。だからキャラクターを作り出す時点で、キャラに背負わせるモチーフとしてのヒーロー概念が各々に決まっているのではないかと思ったのですよね。

 

 
 これは80話更新当時の私のツイート。
 初めて読んだ時の衝撃、この描写の物凄さを受け止めた時の驚嘆が忘れられない……

 

 

貴種流離譚の生い立ち、中心周縁構造の活躍

 度々古典英雄譚という言葉を使っているのですが、古典的な英雄物語には、明確なテンプレート、パターンが存在しています。

 そのひとつが、貴種流離譚と呼ばれる物語群です。

 

貴種流離譚 - Wikipedia

 

 ざっくりと説明すると「本来は高貴な血筋の主人公が、不幸/理不尽によって身分(ルーツ)を失い、その恵まれない境遇において旅をしたり、力を発揮して活躍する*3」というような物語の類型のことを言います。文学研究では非常によく知られている概念で、日本武尊ギリシャヘラクレスから、現代文学ではハリー・ポッターなどもこの類型に当てはまると言われています。

 これに関連して、ジョーゼフ・キャンベルの「英雄の旅」というアーキタイプも存在します。

 

ジョーゼフ・キャンベル - Wikipedia

 

 英雄譚において、主人公は異界、あるいは非日常へと旅をし、試練を経て帰還するという類型の分類です。

 さらに言うならば、これらを包括した概念として、中心/周縁構造の転用も考えることができます。

 

山口昌男 - Wikipedia

 

 これは山口昌男による中心と周縁の理論がトリックスター達だけではなくあらゆる物語構造にあてはめて考えることができるという考え方で難しいことを言うな!!!!!!!!
 取り乱しました。長々と小難しいことを話してすみません……物語構築の具体的な解説はこの記事の本意ではないので、もし詳しいことを知りたい方がいたら上に挙げたリンクなどから参考文献をご参照ください。

 

 要するに、古今東西の伝統的なヒーロー物語には、明確にパターンが存在するよということを言いたいのであります。で、そのパターンとは、

・出自は高貴
・不幸な境遇によって身分を失う
・本来の社会から追われている
・異なる社会、または異世界に旅をする
・帰還する
・力を持って活躍する
・ハッピーエンド→出自にあった王位/神位を継承する
・バッドエンド→その振るった力の業によって死を遂げる

 というような、かなり意訳した部分もありますが、おおむねそういう話になっているということです。
 実はこれらの類型が現代で作られているお話にかなり影響を与えていたりもして、いろんな物語が当てはまるのでよかったらお好きな作品を当てはめて遊んでみてください。私がいまパッと思いついたものだと、NARUTOとかもそうかなと思いました。

 

 それでは実際に武居一孝をこのテンプレに当てはめてみます。

・出自は高貴
→星乃のご落胤、政界中枢&ヒーローの直系
・不幸な境遇によって身分を失う
→認知されていない
・本来の社会から追われている
→幼少期星乃の系譜から追われている、中学に行かせてもらえない
・異なる社会、または異世界に旅をする
→星乃の系譜から追われている点。また本編で死の淵から蘇っている点。
・帰還する
→星乃家に戻されている。危篤から蘇り最終戦闘に参加する。
・力を持って活躍する
→本編の活躍、およびヒーロー活動全般

 ……ということで、完璧に合致することがお分かりいただけるでしょうか。
 蘇っている云々のところがちょっとわかりにくいかなと思うのですが、実は以前別のところでちょっと詳しく書いたこともあるので、もし引っかかっている方がいたらそちらも併せてご覧ください。

 

 またハッピーエンド/バッドエンドについても思い当たるところがあって、さっき挙げた80話の浅桐さんのセリフ、「星乃の直系は名誉と共に死ぬ」というような表現は、この"古典的英雄譚のバッドエンド"のことを指しているのだろうなあと思ったりしました。
 ハッピーエンドの方は、正義さんが結構意識した言動をしていたりします。正義さんのことを書いた記事で、「白星(星乃)のモチーフは"騎士道物語"だ」という話を出したのですが、星乃慧吾と志藤正義が王と騎士という概念であり、そして武居一孝と志藤正義もまた"王と騎士"という関係性だと思うのです。特に107話を見ると、この印象が強くなります。

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 でもその関係性が明言されないのは、武居くんが"ヒーロー"だからなのです。英雄譚の主人公だから、「王の道を往く道程」がストーリーとして記されているから、逆説的に武居一孝は「まだ王ではない」のです。

 また以前別の記事で、古典的英雄譚の主人公は、物語が英雄になる過程を描くものだから、物語内で自分が英雄だということを認識できないという話をしました。武居一孝は「古典英雄譚の主人公」なので、自身が英雄譚の主人公である認識がないし、逆説的に王への過程を歩んでいるがその意識もない。その示唆が正義さんや伊勢崎くんなどの、周囲の人間から匂わされるのみです。しかしそうやって匂わされているという事実が、より武居くんが"古典的英雄譚の主人公である"という認識を強くせしめるのです。

 

 実際、このような物語類型の視点を抜いても、武居くんは自身が「ヒーロー」である、ということにはあまり頓着していないように見えます。彼は自分のやるべきことを、信念のもと一心不乱にやっていて、その結果の自分自身というものには興味がなさそう。それがまた、実に"古典的王道ヒーロー"らしいなあと、思わされるのです。

 


●おわり

 かなり駆け足での記事になりましてすみません。もっとちゃんと説明するには物語体系の話とかをせねばならず、そんな難しい話はしてられないので端折ったらこのような感じになりました……
 武居一孝、ずっと語ってきましたがすごく思い入れがあるというか、ワヒロの筆致の物凄さ、シナリオに圧縮されたものの大きさに気づかされたきっかけのキャラクターなので、とても好きなんですよね。この記事の話もずっと書きたい書きたい言ってたやつなので、書けてうれしいです。
 それだけじゃなくて武居一孝ってマジのマジで良い男で夢女量産機*4じゃねえかと思ってたりもするのですが、またそれは別の機会に喚きたいと思います!
 武居くんハッピーバースデー!!!!!幸運ハピネスいっぱいのお誕生日をお過ごしください!!!!!

 

 

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*1:制作陣が意図している、いないに拘わらず。ストーリーを制作するうえで、結果的にそうなってしまった、という可能性もあると思う

*2:公式紹介の参謀肌、というところにも垣間見える。

*3:ハッピーエンドの場合は、最終的に報酬としての幸福を得る。神話・説話においては、この幸福が「王位(神位)の継承」となることも多い。

*4:ガチ恋にさせる魅力が有り余る男という意味のスラングで他意はありませんご容赦ください。私もその一人です。武居一孝が良い男なのが悪い。

戸上宗一郎は戦うしかない

 戸上宗一郎さんお誕生日おめでとうございます!!!!!!!

 

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 忘れもしない戸上さんとの出会いは復刻崖縁クリスマスのイベントであります。おかげさまで戸上さんのイメージはしばらくの間「王様ゲームの人」でした。
 そのせいでなのかどうかわかりませんが、戸上さんの天然が度を越してトンチキなところに着地する感じがとても好きです。新年初笑わぬ訓練のイベントとかとても好き。メインストでも率先して立ち絵が天地逆転していってるの好き。

 

 そんなトンチキ可愛いところがある戸上さんですが、普段は物事に動じない、頼れる崖縁の大黒柱です。リーダーとして、重式武器の前衛として戦いの要になるだけでなく、地元の人たちからも大層慕われている、愛されるヒーロー。
 その一方で、戸上さんに与えられた命運は波乱に満ちた過酷なものでもあります。

 

 今回の記事は、そんな戸上さんの過酷な道行きが、戸上さんのヒーローとしての性質そのものなのではないかというお話です。

 


●戦うしかない

戸上 宗一郎
生真面目で実直な、崖縁のリーダー。
信じたものにまっすぐで、一度決めたことは曲げず、信念を貫く。
かつては志藤や伊勢崎と共に白星付属中学に通っていたが、
本人の意思により内部進学をやめ、崖縁に入学することとなった。
マイペースで、親しい友人には変わり者だと思われている。
公式サイトキャラクター紹介より引用)


youtu.be


 例によってメインストーリー内では各々のキャラクターについて詳細を語られることはないので、戸上さんの来歴について丁寧に描写されるのは、彼のサイドストーリーが初出であろうと思われます。またイベントストーリー『雨と煙と傷のあと』内で、詳細と戸上さん本人の心情が明かされています。
 曰く、叔父が崖縁の理事を務めていたが、不祥事で退任し、両親からは白星への進学を求められたこと。星乃慧吾が死に至った事故を切っ掛けに、崖縁への進学を考えたこと。そのために、星乃慧吾の死に関わっているのではないかという根も葉もない噂に付きまとわれているということ……
 そして、それらに対して「これからの自分の行動で、判断してもらうしかない」と考えているということ。

 

 列挙すると如実なのですが、戸上さんの身に降りかかっている大きな出来事というのは、100%、個人の力ではどうすることもできないことなのです。一切、戸上さんに非がないことなのに、その発生を止めることは戸上さんにはできないし、発生してしまったあとに戸上さんが個人で対処することも不可能なのです。そうして対処不可能な理不尽に見舞われ続ける戸上さんが出した結論が、「生き様を見せるしかない」という、痛切なひとつの真実なんですね。
 以前にも記事でお話したことがありますが、ワヒロのストーリーというのは、“どう戦うか”が即ち“どう生きるか”という話だと思っているんですよね。そしてこれは因果が逆転することもできると思っていて、“どう生きるか”が“どう戦うか”という表現に置き換えられてしまうこともあるのです。戸上さんの場合、「生き様を見せるしかない」というシンプルで切ない結論は、「戦うしかない」という事象に収束していきます。

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 これは戸上さんのサイドストーリーの冒頭ポエムです。正直、戸上さんの英雄性というのは、これが割とすべてなのです。「ただひたすら、どこかへ進む」。それしかできないから、そうせざるを得ない。それしかできないのは、戸上さんの能力や人格の問題ではなく、戸上さんの力の及ばない大きな事象という理不尽によって、“それしかできない、にならざるを得ない”だったからなのです。常に背水の陣、常在戦場。戦うしかないから、戦っている。戸上宗一郎というのは、そういうキャラクターです。
 また戸上さんは、そういう自分、そうならざるを得なかった自分というのを明確に自覚しています。

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『雨と煙と傷のあと』の一場面


 崖っぷちで戦うのが自分という人間だ、と自認しており、実際に他のキャラ、浅桐さんや頼城さんからセリフとして言われる場面もあります。キャラクター紹介で言われている、「信念を貫く」というのは、このことなんだろうなと私は読解しているのです。崖っぷちこそ我が戦場、戦うしかない生き様が天命、そこで戦い抜き守り抜くという覚悟。そうした覚悟が、戸上さんの「信念」なのだと思う。なんという切実な覚悟なんだ……

 


●英雄は乱世を呼ぶ

 Q.困難を乗り越えて平和を勝ち取った後、ヒーローはどうなるのか?
 A.ヒーローではなくなる

 

 ……というわけで、ヒーローという概念は「戦っていなければヒーローではない」という業のようなジレンマを内包しています。平和(=困難の解決)を目指して戦うのに、平和が達成されてしまうとヒーローはヒーローではいられないのです。物語構築上、ヒーローは乱世を呼びます。もしかしたら現実にもそうかもしれません。
 ワヒロのキャラクターが各々に「ヒーローという価値観」をモチーフとしているなら、戸上さんのモチーフはおそらくこれだと思います。戸上さんの覚悟、戦って守り抜くという覚悟は、決して「平和のための道程」ではないからです。
 崖縁の裏切り者、という戸上家系へのレッテルは白津紀家の陰謀によるものと示唆され、また星乃慧吾に関する噂の発生も、白星学生による自己完結のルサンチマンであるように語られています。戸上さんの戦いは、これらの“理不尽の根源”へ対抗するものではありません。それこそ戸上さんの生き様によって、軟化することはあっても、この理不尽を絶対的に根絶し、平和を勝ち取るということは、どうにもできそうにありません。また戸上さんはその平和を手にすることを目標に戦っているわけではなく、あくまでも“今の環境の中で、いかに守るべきものを守れるか”という土俵で戦っているのですね。
 なんなら、戸上さんの活躍によって現状が改善されたとして、戸上さんにはまた新たな理不尽が降りかかり、新たな戦いを強いられそう。そうした印象を受けるのはやはり戸上さんが「解決のために戦っているのではないから」です。

 

 どうあっても、戦いの渦中に身を置いてしまう。理不尽を呼んでしまう。崖っぷちにおいて、戦い続けることを選んでしまう。そうした性質こそは、「ヒーロー」という概念になくてはならないもの、本質中の本質と考えます。実際、メインストーリーでも、戸上さんは最後まで戦場にいます。王道である白星第一を蹴って“己の戦場”崖縁に自ら赴いてきた戸上さんのモチーフは、このようなヒーロー概念における王道、戦いの中に身を置くという本質を指しているのだろうなと思うのです。

 


●「ヒーロー」に「生まれ直す」

 白星の候補生だったころ、戸上宗一郎はそうではありませんでした。戸上さんは強い覚悟をもって白星付属中学に進学したわけではなかったし、ヒーローとしての戦場を求めたわけではありませんでした。
 今の戸上さんになったのは、やはり星乃慧吾くんの一件が大きい。親しい友人を失ったことで、戸上さんの価値観は大きく変わります。

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[生き直す覚悟]カードストーリー「鋼の心臓」より


 そして、以前慧吾くんから言われていたことを改めて考え直し、崖縁への進学を決めるのです。

 

 恒常SSRのカードタイトル[生き直す覚悟]。これは崖縁に行ったから、心臓を改造したから「生き直す」なのではないと思う。というか、因果関係が逆で、「生き直す」から崖縁に行き、「生き直す」から心臓を強化するのです。「生き直す」ことの具体化として進学や心臓の強化という事象が使われているのだと思います。
 では戸上宗一郎の「生き直す」とは何なのか。それは、「ヒーローになる」ということ。……だと、私は捉えています。
 役職名としてのヒーローではなく、概念としてのヒーローです。つまり、先に言った戦う覚悟を決めたということですね。白星中時代の戸上さんも、自らが理不尽な運命にあるというのは感慨こそなけれど、客観的に把握はしていたと思うのです。でも、ここで、皮肉にも友人の死という最大の理不尽を切っ掛けに、戸上さんは腹をくくったのだと思います。自分の人生は理不尽だということを受け入れた。この理不尽な人生を戦っていくのだということを心決めした。その決心がすなわち、崖っぷちこそ我が戦場、ということであり、「ヒーローになる」ということと同義なのです。
 この決心の原動力はひとえに「守るべきものを守りたい」という、戸上さんの純粋な欲求にあります。この戸上さんの人格の美しさが覚悟を呼び、戦場に身を置かせている。戦うしかない人にさせている。戸上さんがヒーローであるということを思うとき、いつもこの、戦場に身を据え置いているという痛々しさ、覚悟の重さ、その人格の美しさを痛烈に感じます。まさに生き様を見せられているなあと思うのです。

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サイドストーリーより

 



●おわり

 戸上さん、しんどい、本当に、私は戸上さん大好きなんですが、考えるたびに、戸上さんは全人生をもってこちらにぶつかってくるので、ウッ…重たい……まだこちら側に受け止めきれるだけの人生キャパシティが不足している……となります、なりたい、戸上宗一郎を完全に受容できるだけの豊かな人生を内包した人間に……(重たい)
 とにもかくにも戸上さんハッピーバースデー!!!!世界中から祝福されてください!!!!!全人類戸上宗一郎の生誕を祝ってくれ!!!!楽しい一日になっていますように!

 

 

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伊勢崎敬の二極性

 伊勢崎敬くんお誕生日おめでとう!!!!!!!!

 

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 いつもtwitterとかでは敬チャン*1と呼んでるのですが、記事を書いてるうちにまた論文みたいになってしまった*2ので、今回は伊勢崎くんとお呼びします。
 伊勢崎くんの魅力はなんといってもアンバランスなところ。美しいお顔立ちなのに無邪気な言動であったり、そうと思えば才能あるストライカーであったり、ギャップが尽きない。個人的には矢後さんとの同級生バカふたりの会話がテンポよくて好きです。

 

 そして、元気でかっこよくて愉快な伊勢崎くんなのですが、内に抱えているものは深くて重い。
 ここまで順番にキャラクターについての記事を書いてきたんですが、これまでの記事は共通して〝ヒーローとしての役割〟がキャラクターのモチーフそのものになってるのかな?というふうに考えてきたんですね。でも伊勢崎敬は、そういうふうに一元的に考えられないところがある。なので今回の記事は、内容に非常に悩みました。言っても言っても言い尽くせないのではないか?とも思う。難しい……

 

 とにかくというかとりあえずというか、この記事では「伊勢崎敬を紐解く」というスタンスで書いていこうかと思います。
 なんか大層なことを言ってしまいましたがノープランでつらつらと書いていくだけです。よかったらお付き合いください。

 

伊勢崎 敬
なによりも「面白さが第一」の天才タイプのヒーロー。
整った顔立ちだが小学生男子のような趣味趣向を持っており、
カブトムシや働く自動車をこよなく愛している。
佐海や霧谷と同じ養護施設出身だが、
現在は星乃家に与する、伊勢崎家の養子となっている。
公式サイトキャラクター紹介より引用)

 

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●単なる手段

 伊勢崎くんの来歴は非常に特殊です。
 上記のキャラクター紹介で「天才タイプのヒーロー」とされていますが、彼のサイドストーリーでは、その才能は後天的なものであることが明かされます。そしてその「後天的な才能の付与」が、伊勢崎・佐海・霧谷の出身施設の事件の遠因であることもわかっています。
 当時春間敬であった伊勢崎くんは、事件後に独力で真相にたどり着いており、「施設襲撃事件を許さないため」に伊勢崎家に養子に入ることを決めます。

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 と、このようにヒーローたちの中でも群を抜いてヘビーな伊勢崎君の来歴なのですが。まず、悪意*3による人為的・後天的なヒーローの才能というのは『仮面ライダー』的だと感じました。

 

(仮面ライダー1話。かなり怪奇悲伝的な演出。)


 含みのない、純粋な意味での〝悲劇のヒーロー〟ですよね。己の意志を伴わない犠牲によって、ヒーローとして目覚めてしまい、その結果闘争に身を投じることになる……いま「闘争」という単語を使いましたが、ヒーローの本質はやはり戦うことにあります。ヒーローの成り立ちに自発的な目的意識がなければ、ヒーローの本質としての闘争は、ヒーロー本人にとっても悲劇となり得るわけですね。
 伊勢崎くんにとって「闘争」は、もちろんイーターとの戦いという意味でもあり、また「伊勢崎くんが伊勢崎家に養子に入った目的を遂行する闘い」でもあります。
 そしてその目的とは、〝施設襲撃事件の原因を作った人間に対する他罰的行為*4ということです。

 

 こうして伊勢崎くんの目的が「明確に個人的なものである」「明確に他罰的なものである」と描写されることで、伊勢崎くんがヒーロー活動を〝正義、あるいは救済のためにしているのではない〟と明らかになることが、物語構築の上で非常に重要なことではないか、と思うのです。

 
 英雄的な行為とは、危機を退ける行為であり、人を救う行いです。そして、英雄的な行為は、旧来的には「それそのものが目的」つまり人を助けるために人を助けているんですね。人道に則った正義の行いです。
 あるいは、近年の英雄譚で言えば「英雄として認められることで、自らの地位・自己認識を明らかにする」という目的で正義を行うヒーローもいます。これは、自らを救済すると捉えることもできます。
 しかし伊勢崎くんにおいては、人を救う事、活躍し認められることが、一切の〝手段〟でしかないのです。彼の目的は、明確にほかにあるからです。

 

 「ヒーロー」という概念に対する価値観が多様であること、これは『ワールドエンドヒーローズ』という作品の面白さの根幹であると、私は思っています。その中でも、伊勢崎敬というキャラクターにおける「ヒーロー」の価値観は異質で目を引きます。伊勢崎くん自身はヒーロー活動を「面白いから」やっている、というような表現をしますが、やはりそれは副次的なものです*5。〝手段としてのヒーロー活動〟は、乱暴なことを言えば、ヒーローとしての活動、人道的な救済を行うことが、ヒーロー本人にとって無意味であることを示唆します。私たちは、ヒーローに、人道的な行い・正義そのものに対しての報酬を期待してしまう。正義の行いや助けてくれた人への感謝の気持ちが、ヒーロー本人を喜ばせると信じたい、そういうところがあります。しかし、伊勢崎くんにとっては、極端なことを言えば、ヒーローとしての活躍における達成感や感謝は、伊勢崎くんの目的に対して寄与しない、意味をなさないものである。伊勢崎くんは「かっこいいから」活躍することを誇りはすれど、ヒーロー伊勢崎敬への不特定多数からの好意に対しては無頓着です。それは、理解できないからではなく「意味がないから」……というのは穿ちが過ぎるかもしれませんが、無関係ではないと思います。
 こうした〝ヒーローという存在の、ヒーロー本人への無意味さ〟という価値観は、多様な価値観の中でもビビッドであり、考えさせられるという面で、作品の深みにおおいに貢献していると考えます。

 


●愛の人

 上のように書くと、伊勢崎くんはドライで利己的な人物像に見えてしまいますが、そんなことは一切なく、むしろ「愛の人」であると私は思っています。
 「愛の人」というふうに題目をつけるとちょっと気障で、なんとなく伊勢崎敬よりも頼城紫暮あたりに似合いそうですが、情の深い人、深すぎる人という感じのニュアンスで捉えてください。個人的な印象だけで言うと、頼城さんが持っているのは〝フィリア〟(ギリシア的価値観)で、伊勢崎くんが持っているのは〝仁〟(儒教的価値観)というような、感じがあります。「仁者はよく人を愛し、よく人を憎む*6」とも言いますね。
 伊勢崎くんが施設襲撃事件を起こした相手を「許さない」のも、家族同然であった施設の仲間が大切だからであり、その居場所を失った怒りからでしょう。またその愛情故に、対象となる佐海くんや柊くんの危機に際しては、身を挺することに一切の躊躇がありません。

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 こうした情の深さと、情の深さに端を発する自己犠牲的な一面は、まさしく英雄の素質であると言えます。後天的な、人為的なものではない、伊勢崎敬が春間敬のときから持っている資質です。
 だからこそ、佐海くんや柊くんにとって、そして読者の私たちにとって、伊勢崎敬は偉大なヒーローであり、そうであるからなおのこと、伊勢崎くん自身の悲劇性、ヒーローとしての愛情深い本質と手段としてのヒーローという無意味さの二極性に、深い悲しみをおぼえ心を揺さぶられるのだと思います。

 


●おわり

 めちゃくちゃ真面目になってしまいました……
 イベントシーンとか、普段の敬チャンの楽しいところ、ウキウキした可愛さとか言葉のうまさとか、駄菓子のカードを集めてるようなところとかもすごく好きなので言及したかったのですが、思いのほか論文になってしまいました。 
 今日は仲間といっしょにいっぱいはしゃいで楽しいことしかない一日を過ごして欲しい!指揮官も混ざって遊び倒したい!ハッピーバースデー!!!!


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*1:ネコチャンと同じノリ

*2:最近抗うことを諦めた

*3:こう括るのは大雑把ですが、自己の利益目的によって、他者の犠牲を強いる行為は「悪意」と呼んで差支えはないだろうと思う。

*4:伊勢崎くん本人が「フクシュウっていわない」ようなので、遠回しな表現にとどめます

*5:決して嘘ではないという解釈をしています

*6:人を憎むときも理を失わないということ。「真っ黒にならないように」と自制のある伊勢崎くんを表現するのに相応しいと感じました